「戦争とプロパガンダ」大政翼賛会による翼賛体制

戦争
おが太郎
おが太郎

今回はオトラーさんからのリクエストにお応えして調べました!

音声はこちら↓↓↓

大政翼賛会とは

大政翼賛会とは1940年に近衛文麿によって設立された国内を統一するために作られた組織

「大政」は天皇の政治
「翼賛」は賛成して助けることの意

長まろ
長まろ

正直よくわからないな(笑)
政府の宣伝部みたいなイメージしかないよね・・・

時代背景

1937年 日中戦争が始まり、欧米諸国との関係が悪化
1939年 ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦勃発
1940年 米内内閣が誕生、戦争の拡大を阻止しようとする立場をとった

日中戦争での講和を模索したり、日独伊三国同盟締結には反対の立場

おが太郎
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それで特に陸軍の反感を買うことになるんですね

当時、軍部大臣現役武官制という制度があり、陸軍大臣、海軍大臣は現役の軍人しかなれない
そのため、陸軍が大臣を出さないことで米内内閣は総辞職へ

そこで誕生したのが第二次近衛文麿内閣となる

おが太郎
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近衛文麿は3回首相になっています

「近衛」とは?
近衛家は鎌倉時代中期に成立した公家のトップである五摂家の一つ
近衛家・一条家・九条家・鷹司家(たかつかさ)・二条家
おが太郎
おが太郎

「近衛」って名字の人がいたらただ者じゃないってことですね・・・

先日隣に引っ越してきた近衛ですって言われたら・・・
すいません、こんなジャージ姿で、、、って感じに(笑)

ちなみに細川護熙第79代内閣総理大臣は近衛家の血縁です!

大政翼賛会発足の経緯

米内内閣総辞職後の第2次近衛内閣成立後に新体制運動が強まる

長まろ
長まろ

新体制運動ってどんなの?

おが太郎
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ざっくり一言でいうと戦争を戦い抜くために、
一党独裁の強力な政治体制を目指す」という主張

【影響を受けたとされるもの】
①ヒトラー率いるナチス
当時第二次世界大戦で快進撃中であったドイツ
②ムッソリーニ率いるイタリアのファシスト党
これらの国の特徴は、強力な指導者が国を独裁していて、
国民の自由や財産を制限し、国の為の利益を優先している体制
これを全体主義という

日本も全体主義を目指す新体制運動が強まっていく
その結果生まれたのが大政翼賛会となる

1940年大政翼賛会が成立
立憲養正会、非合法の日本共産党など一部を除き、
全ての政党が自発的に解散し「大政翼賛会」が誕生

【解散理由】
近衛文麿がラジオ放送を行い、国民に向かって既存政党の問題点を語ったり、直接解散を呼掛けた
既存政党の人も新しい体制から取り残されることへの不安が強まる
大政翼賛会に加わることで、国政における地位を今以上に高めたい思惑もあった
おが太郎
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そんな理由で既存政党はほとんど解散しました

大政翼賛会のトップには当時の首相であった近衛文麿がなった

おが太郎
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担ぎ上げられた感もあるんだけど、近衛家というカリスマ性と穏健派で色々な派閥と友好関係があり、彼が適任ということで抜擢。

大政翼賛会の結成日は、近衛文麿の誕生日である10月12日でした。

大政翼賛会の特徴

大政翼賛会は色々な派閥・右翼団体・思想の異なる人達の集団となった
そのため一致団結した組織にはならなかった
近衛文麿も積極的に皆を統率していくようなリーダーシップはとらなかった

おが太郎
おが太郎

仮に近衛文麿がリーダーシップを発揮して、引っ張っていったら変わっていたかも
しれないけど・・・

大政翼賛会内部でも意見が対立し、衆議院議員からも批判の対象となった
大政翼賛会が一党独裁を目指していることが問題とされた

大日本帝国憲法には天皇が最高権力者となっているが、
一党独裁を認めてしまったら、江戸時代のように天皇は形だけとなり、
大政翼賛会が実質的に権力を握ることになる
これは憲法違反ではないかと言うことで反発の声が高まる

おが太郎
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そういった批判が重なり、結局この大政翼賛会は政治活動できず公事結社へ

【公事結社とは】
政治に関係のない公共の利益を目的とする組織
政党とはならなかった
おが太郎
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大政翼賛会は政党ではないけど、第二次世界大戦中に国の命令や思想を
国民に伝える伝達機関として活動していくことになります。

これを翼賛体制と言います。
この翼賛体制で行われた広報活動はよくプロパガンダとも言われています。

長まろ
長まろ

プロパガンダと言えばおが太郎だね!

プロパガンダとは

元々はラテン語で「増殖する、種をまく」の意味
キリスト教カトリック協会の布教活動をする機関の名前であった

おが太郎
おが太郎

このプロパガンダという言葉がカトリックと対立するプロテスタントにとって
危険な思想を広めるものであったため、そこからプロパガンダにはある特定の考えを
植え付ける、誘導するための宣伝という意味にすり替わっていった。

特に今では政治的主張を誘導することについてプロパガンダってよく使われてます。

長まろ
長まろ

ナチスなんかはまさにプロパガンダで国民を誘導していたのは有名だよね。

翼賛体制化で行われたいくつかの事例

12月8日のポスター

1942年12月8日に日米開戦1周年の催しが翼賛会で企画された
そこで国民を鼓舞するためにポスターを作った

1942年大政翼賛会ポスター(山名文夫『体験的デザイン史』ダヴィッド屋社より

12/8という日にちを視覚的に強く印象付ければ、それ以上のことを言う必要はない
一年前の12/8、ラジオの臨時ニュースで突然軍艦マーチが鳴り、
ハワイ真珠湾攻撃の成功が国民に伝えられた日

全国民はこの日にちをはっきりと覚えている
だから、その日にちに対する解説がなくても、国民を鼓舞するには十分だった

力を注いだのは、12/8という文字をどれだけ力強くするか
複数のデザイナーが、いくつも案をだしあって丸1日かけてきまった
それは明朝体を太くした力強い「12月8日」だった

お願いをする標語
おが太郎
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町中を歩く人の足を無理矢理止めさせるにはどうすればいいのだろう。
最近の広告は上からの命令ばかりで、国民もうんざりしているんじゃないか。

逆に下からお願いしている感じにしたら立ち止まって読んでくれるのではないかと考えました。

おねがいです。隊長殿あの旗を射たせて下さいッ!

旗は米英の旗のことを言っている
隊長からの命令でなくて、部下自らの願いになってる
それなら人は立ち止まって読んでくれるのではないか

おが太郎
おが太郎

「射たせて下さい」の「射つ」は射撃の撃の「撃つ」ではなく
「射抜く」の「射」であり、実際に最前線で戦う兵士の感覚は
撃つという感じではなくて、射抜くというイメージがあったため

消火活動
爆弾が炸裂した瞬間しか爆弾ではない後は、唯の火事ではないか、ただの火事を君は消そうともせずに、逃げ出すてはあるまい

1941年 写真週報・・・内閣情報部で出版されていた雑誌

空襲が起きても逃げ出さず、消火活動に当たることが国を守ることであると伝えている

おが太郎
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空襲で火災が起きたら鎮火は隣組という単位で引き受けなければならなかったのですが、

この「隣組」、実はこれも大政翼賛会が作った末端組織になります。

長まろ
長まろ

江戸時代とかにあった五人組みたいなものかな・・・?

国民参加型の大政翼賛会

大政翼賛会の狙いは、国民を総動員し強く団結した構造をつくりたかった

【大政翼賛会の構図】
①総裁
②都道府県支部長、知事
③市町村支部長、町内会、部落会
④隣組

隣組はさらに細かく分けて10世帯前後に分けたもの
その連絡をとる手段として回覧板もこの頃から普及した

【翼賛一家】
隣組を広めたもので、翼賛一家という漫画のキャラクターがある
家の主、賛平さんを中心に11人の大和家が描かれている
この翼賛一家は、新聞や雑誌の連載、映画、舞台、レコード化まで
アイデアがてきてから半年間のうちに行っている
おが太郎
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驚愕すべき展開の速さですね。
例えば漫画が売れたら次は映画とかにいくのが今の流れだけど
最初から複数の媒体で展開しようとしているあたり、
国の力の入れようがすごいなと思います。

これは売上ではなく、国民への周知が目的だったからですね。

翼賛一家の漫画には町内マップが紹介されている
そこに隣組のことが書かれている


「皆さんが互ひに垣根を取り合ふつて気になって下されば、面白い笑ひの一日が実現する」

翼賛一家

このように隣家との垣根がなくすことが理想とされた
隣組は家族であるというメッセージが頻繁に出てくる

配給切符の割当、金属などの資源回収、防犯、防災活動、常会と呼ばれる集まり
常会ではとが推進された

今日は僕の家の常会です。常会は家の人が集まって自分たちがしたことを見たこと考えたことを
お話しするのです。

翼賛一家
おが太郎
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これ絆を深めるってことでもあるけど、互いの監視や思想の統一も目的にあります。

隣組ってずっと昔から続いていた古き良き日本の姿だって思っている人も
いるかもしれないけど、この戦時体制の中で作られた組織なんですね。

【誰でも参加できる工夫】
この翼賛一家のキャラクターは誰でも描けるように、簡単な線を用いて描かれている
翼賛一家のキャラクターを国民が自由に描いて雑誌などに投稿できるようにしていた
翼賛体制の特徴は、国民自らが参加し盛りあげていくことを強調している

【サザエさんの事例】
ちなみにサザエさんの作者長谷川町子さんも
「翼賛一家大和さん」っていう4コマ漫画を戦時中に書いている
彼女はすでに漫画家としてデビューしており、
比較的、戦時色の薄い日常生活を描いてはいたが
戦後に描かれたサザエさんと翼賛一家の似ている点がある。
それは、家族や、町内の関係性が強く描かれている。
おが太郎
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めっちゃノリスケさん磯野家に来るじゃん。
三河屋のさぶちゃん、すごい頻繁に裏口から顔出すじゃん。
しかも、これサザエさんに限ったことではなくて、

新聞の4コマ漫画を思い浮かべてほしいんだけど、
コボちゃん、となりの山田くんにしてもそうなんだよね。

家族を中心に町内との関係性が強く描かれている
実は新聞の漫画が家庭を題材したものが増えるのは日中戦争以降と言われている。

【人形劇】
翼賛一家の人情劇も頻繫に行われている

「えへんさて、皆様いかがなものでござりましょう。
前線でこ奮闘の兵隊さん方へお送りする慰問袋でございます。
銃後国民の感謝の真心をお一人分でも余計に詰め込みましたほうがよろしいと存じましてな
ご一緒に愛国行進曲をお歌い願えないものでござりましょうかな。」

翼賛一家人形劇

観客と一緒に斉唱を促しているシーン

おが太郎
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観客席に活発に歌声が起こらない場合は
「あ待った待った。どうも舞台の中ばかりで、歌っておって前の方からは
あまり声が聞こえぬよーじゃどうぞ皆様、元気よくご一緒に歌ってください。」

こんな感じでマニュアル化されていたようです。

慰問袋とは?
戦地の兵士に本土にいる国民が日用品とか手紙を袋に入れて送る
誰に届くかわからないが、兵士の士気を高める狙いがあった
おが太郎
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いくつか例を紹介したんだけど、
重要なのはプロパガンダの多くが、兵士に対してではなく、直接戦争に参加していない一般国民に向けてのものということです!

大政翼賛会の終わり

大政翼賛会自体は終戦の二か月前に
本土決戦に備えて「国民義勇隊」を結成したことで廃止

結局、そのまま日本はポツダム宣言を受諾し終戦となる

近衛文麿は戦後GHQから逮捕命令が出され、A級戦犯として起訴される可能性が出てきた
それを知った近衛文麿は、青酸カリを服毒して自殺
これによって連合国側に裁かれることなく生涯を終えました

おまけ

①2014年 当時の内閣総理大臣安倍晋三が集団的自衛権の必要性を記者会見で説明
日本人が海外で突然紛争に巻き込まれて、そこから逃げようとする日本人を
同盟国のアメリカの船が日本へ輸送している時に、攻撃を受けるかもしれない
その時に、現在の憲法解釈だと日本の自衛隊は守ることができない
おが太郎
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ここで、とりあげたいのは、集団的自衛権が必要かそうでないかということではなくて
これを説明する上で用いられたイラストです。

首相官邸提供

第三国からアメリカの船が日本人を乗せて日本へ向かっている絵
その船のとこに大きな丸の吹き出しがあり、
そこに日本人と思われる母親が不安そうに赤ん坊を抱えていて、
その脇には娘と思われる少女が描かれている

このイラストは一番目立つ真ん中にあえて、母と子を大きく描いている

②1914年イギリスのポスター
https://collection.nam.ac.uk/detail.php?acc=1977-06-81-5 より転載
https://collection.nam.ac.uk/detail.php?acc=1977-06-81-5

1914年にヨーロッパでは第一世界大戦が勃発した
ドイツ軍によって村が焼かれ不安げな表情で逃げている母と子
そして中央にはイギリス軍兵士が描かれている絵
下には「ENLIST TO-DAY」「今日入隊せよ」と書いてある

おが太郎
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この紹介した二つのイラストは同じメッセージが込められている。
それは弱い女性と子供、そしてそれを守る為に戦う必要がある。

時代は100年違うけど、この構図はずっと変わらなかった。

物の見え方には、本来、その時の状況や人によって差異が生まれる。
だけど、ある特定の言葉や、見せ方によって、その差異を排除することができる。

これがプロパガンダといわれるものなんです。

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