日本は世界で唯一の核兵器による被爆国家です。
初の原子爆弾は1945年8月6日に広島に
同年8月9日には長崎に落とされました。
のべ20万人以上の死者を出し、
その後も後遺症で今現在に至るまで苦しんでいる人たちがいます。
そんな被害国家であった日本もかつて原爆開発に取り組んでいたなんて知らなかった!
原爆とは
原爆=原子爆弾
ウランやプルトニウムといった元素に中性子を衝突させると、
原子核が2つに分かれ(核分裂)、エネルギーを放出する
分裂と同時に平均2.5個の中性子が飛び出し、
連続して核分裂が起こることによって、
放出されるエネルギーは巨大なものとなる
このエネルギーを兵器に利用したものが、原子爆弾である
マンハッタン計画(アメリカ)
原爆はアメリカが世界で初めて開発した
その原爆開発の計画を「マンハッタン計画」と呼ぶ
1942年8月に始動し、1945年7月に初の実験成功
その後戦争を早期に終わらせるために日本に使用した
ただ早期終戦はキレイごとで少なくとも実験的要素は強かったようです。
日本における原爆開発
二号研究
陸軍が主導
中心人物・・・仁科芳雄
1943年5月に理化学研究所の仁科を中心に開始
当時の戦況
1943年5月はアッツ島の玉砕があった年
アッツ島の玉砕はこちら
1943年2月にガダルカナル島から撤退
4月に連合艦隊司令長官山本五十六は亡くなっている
そんな中新兵器にかける軍部の想いは強かった
日本軍の戦況はかなり不利になっていたんですね
資源の不足
■ウラン235とは 天然で採掘されるのはウラン238 核分裂の連鎖反応を起こすのはウラン235であり、 ウラン238からウラン235を取り出すことが重要であった 当時知られていた分離法は4つあった 1.熱拡散法 2.気体拡散法 3.電磁法 4.超遠心法
日本は追い込まれていたので時間もなく、資材もなかったため
理研は一番手間がかからない熱拡散法を採用した
アメリカの開発では全部の方法を試して、最良の方法を組み合わせて製作しました。
この辺り日本が追い込まれている感が伝わってきます。
ウラン235の抽出も大事だが、そもそものウラン鉱石を探すのが大変だった
研究は進めていたが戦況はどんどん悪化の一途をたどる
1944年7月にはサイパン島が陥落・・・絶対国防圏の崩壊
研究の断念
二号研究は原子核の分裂の研究
→原爆製造計画とは程遠かった
責任者であった仁科自身も
「原子爆弾は今回の大戦では製造できない」との認識であった
・ウラン鉱石をひたすら探すグループ
・ウラン235の分離を目指すグループ
2つに分かれて並行で研究を進めていたが・・・
これは兵器開発で言えば初期段階と言える
材料を探して、その材料から兵器の原料をどうやって抽出するかみたいな段階なので・・・
爆弾に応用するとかかなり遠い未来に感じてしまいます。
二号研究での研究費総額は2千万円(今で言う300億円)
かなり研究に力を入れていたものの、
日本本土の空襲が激化し、理研も当然攻撃対象とされる
1945年4月の東京空襲で熱拡散筒が破壊され研究が続行不可
同年6月に陸軍が研究を打ち切りとした
F研究
海軍が主導
責任者・・荒勝文策
京都大学の研究室で行われた
ノーベル賞を受賞した湯川秀樹も研究のメンバーにいました!
開始時期は明確には定まっていない
理由は荒勝が海軍から直接依頼されたわけでなく
人づてに依頼を受け、研究者への調査も個々に依頼したので
研究者たちの証言にもバラツキがある
1943年5月頃とされている(1941年説もある)
遠心分離法を採用し研究
京大が研究所であったので二号研究とは違い空襲からは逃れられた
京都は日本の古都で文化遺産も多いからアメリカが避けてたとも言われてるよね。
1945年7月21日に海軍との会合が行われ研究を打ち切りにした
「理論的には可能であるが、現状の日本の国力では無理」との結論
皮肉にもその5日前(7/16)にアメリカでは史上初の核実験に成功してるんですよね。
仁科と荒勝はともに広島の原爆投下後に訪れ
その被害が原爆であったことを調査報告することとなる
これも皮肉ですよね・・・
原爆開発していたがために、被害が原爆によることがわかってしまうわけなので。
日本の原爆開発の結果
日本は原爆開発に最後の望みを託していた
しかしアメリカの度重なる空襲により
研究施設は焼かれ継続は不可能となった
そもそも肝心のウラン鉱石はなく
元々絵にかいた餅のようなものであったと言う人々もいる
なぜ技術者たちは軍部の命令に従ったのか?
いろいろ言われているが
・有望な研究者を兵隊として戦地に送られないようにする
・可能性は低くても研究成功させ日本を勝たせたかった
・単に研究をしたかった(平和利用含め)
・時にはサーベルをチラつかせて脅したりした
結論は当事者にしかわかりません。その時の状況はその時生きた人のみぞ知りますので。
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