漫画『ゴールデンカムイ』の主人公杉元佐一のモデルになったとされます。
杉元は作中では「不死身の杉元」と呼ばれ、日露戦争で多くの戦功をあげます。
数々の致命傷を受けながらも凄まじい生命力で復活し敵を倒すことから不死身の二つ名を冠せられてるのですが、そのモデルとなった船坂弘はどのような人だったのかを解説します。
アンガウル島の戦い
ペリリュー島の戦いの2日後に米軍が上陸
日本軍は守備隊1250名で守っていた
対する米軍は約2万の兵士を投入
1944年9/17に開戦、9/30に島の主要部は占領され、日本軍の組織的抵抗は10/19で最期
最期は生き残りの兵士による玉砕攻撃
日本軍の戦死者1191名、捕虜59名
95%の戦死率の玉砕の島
ちなみにアメリカ軍の戦死傷者は2500名ほどとなり、米軍の方が人的被害が大きかった戦いでもあります。
船坂弘について
1920年生まれ、2006年に亡くなる
栃木県出身
小さいころから強くガキ大将的存在であったとされる
武に秀でていたこともあり陸軍に入隊する
陸軍入隊後は満州に配属される
その後大東亜戦争の戦況悪化に伴い南方のアンガウル島守備隊に配属
擲弾筒分隊の隊長を務めていた
※擲弾筒→比較的近距離の目標を攻撃する武器
爆弾を手で投げるものは手りゅう弾、装置を使うものが擲弾筒
銃剣術と射撃で同時に徽章を受けるくらい武の達人でもあった
指揮していた分隊員は15名いて、そこのリーダーやるくらいなので頼れる男って感じですかね
「不死身の分隊長」と呼ばれた
なぜ「不死身の分隊長」と呼ばれていたか?
幾度も大けがを負いながらも不屈の精神で米軍を倒そうと復活したためです。
アンガウル島での米軍との水際作戦の際に擲弾筒で多くの米兵を撃退
しかし戦闘開始から3日目に左足を砲撃により負傷
出血がひどく助からないと思われたが、左足を引きづりながら戦線復帰
その後出血しながら戦い続けるも左腕も負傷、右腕も捻挫してしまう
最後のとどめに腹部盲管銃創を負う
千本針で止血したが、傷口からは蛆がわきだす
腹部盲管銃創を負うともう助からないのがその時の常識でした
※盲管銃創・・・弾が貫通しない銃創
軍医もそんな船坂を見てもう助からないと思い、貴重な手りゅう弾を船坂に渡す
→自決用の手りゅう弾
船坂も自決を決意し爆破させようとしたが不発弾だった
死のうと思って死ねなかった時の気持ちっておそらく常人は理解できないことですが、
船坂はこれが運命と悟り、まだ命ある限り米軍にダメージを与えることを誓い奮起します。
そこから死んだ気になって単身で米軍司令部へ突っ込む
手りゅう弾6発と拳銃を1丁持って匍匐前進で少しづつ米軍アジトに近づく
司令部まであと少しというところまで近づけたが警備の米兵に気付かれ撃たれる
弾は頸部にあたりそのまま戦死する・・・と思いきや、三日後に息を吹き返した
(正確には微弱に心音があったので死んだわけではない)
船坂伝説でケガを負ってもすぐ治って戦線復帰みたいな話を聞きますが、それは嘘です。
本人の回顧録見ても傷は負ったまま満身創痍でずっと戦い続けてました。
つまり船坂に対しての「不死身」の意味は「死なない」というよりも「不屈の精神」に近いものだと捉えてもらえれば(個人的には)良いかと思いました。
そのまま米軍の捕虜となる
初めは闘志衰えず捕虜となったまま米軍に一人抵抗しようとするが
米軍のクレンショーという人物に止められる
クレンショーは敬虔なクリスチャンであった
なぜ助かった命を捨てようとするのかが理解できない
真逆の思想の2人だが徐々にお互いを信頼するようになる
そんなクレンショーの気持ちが伝わり船坂も命を大事にするようになり、模範捕虜として収容所を転々とすることとなります。
戦後
渋谷のスクランブル交差点を渡ったところにある大盛堂書店を開いた
捕虜収容所時代にアメリカを見てきた船坂は
日本の産業、文化、教育を発展させたい想いから書店経営を始めた
アメリカに比べ日本が劣っていることを痛感したらしいです
(戦争に負けたのも当然だってくらいの差があったんですね)
クレンショーとは戦後日本でお互いの夫婦どおし交流する
そこでお土産に日本刀をプレゼントし感銘を受けたエピソードがある
詳しくは音声配信聴いてください
その他執筆活動やアンガウル島への収骨慰霊も行った
アンガウル島に限らず、ペリリューやコロール、グアムなどに慰霊碑を建立
慰霊碑にはこう書かれる
「尊い平和の礎のため、勇敢に戦った守備隊将兵の冥福を祈り、永久に其の功績を伝承し、感謝と敬仰の誠を此処に捧げます」
おまけ~三島由紀夫から見た船坂弘~
以下、『英霊の絶叫』より抜粋してます
氏の重戦車のような体躯にひそむ鬱屈、そのきわめて慇懃謙譲な態度の裏にひらめく負けじ魂、その生真面目さと表裏した粘着力、その闘志とバランスの取れたプラクティカルな精神、その平静さに隠れた一種の悲しみ、その爆発力を制している抑圧、
これらさまざまの対蹠的なものを藏した肖像画の裏側に、遠い哨煙の匂いをかぎつけていたことは確かだった。そこには必ず、戦争の影がひそんでいなければならなかった。
☆参考図書『英霊の絶叫』☆