「脱獄王 白鳥由栄」死刑からの脱獄

人物
おが太郎
おが太郎

金じゃねえ、惚れた女のためだ
by 杉元佐一(ゴールデンカムイ)

「脱獄王 白鳥由栄」ゴールデンカムイ白石由竹のモデルとなった人物
音声はこちら↓↓↓

「網走刑務所」死刑からの脱獄~白鳥由栄Yoshie Shiratori~
音声はこちら↓↓↓

長まろ
長まろ

ゴールデンカムイの「白石由竹」を知らない方のために私が簡単に解説しておきます。

白石由竹とは・・・
漫画『ゴールデンカムイ』に登場する重要人物。
今回のテーマである「白鳥由栄」がモデルになっているとされ、
白鳥の逸話などを漫画でも再現して取り入れている。
ポジション的には「お笑い」で、漫画内でのシリアス展開においてクッション的な部分の役割が多く、実際の白鳥とは印象もイメージも異なると思われる。
ネタバレするので「白石由竹」が気になる方は漫画を読んでください。
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概要

26年間の獄中生活で4回の脱獄をし、合計3年余り脱走した「 脱獄王」の異名を持つ白鳥由栄
今回の話は『脱獄王』斎藤充功著から
5年間かけて当時70歳の白鳥由栄を探しだした

おが太郎
おが太郎

実際に会って数か月かけて聞き込み取材をしいて、
しかも彼に関わった看守や、弁護士、近隣住民など 徹底的に取材をしているそうです。
この取材の翌年に白鳥由栄は亡くなっているから本当に貴重な本です。
白鳥が取材を受けたのはこの斎藤充功さんだけらしい。

生い立ち

1907年(明治40年)青森県に生まれる

父親が病気で亡くなって、2歳の時に親類の家に養子に出された
養子先は豆腐屋をしていて、仕事を手伝ったりしていた
彼は小さいころから体が丈夫で力もあった
将来の夢は父親の借金を返して、田畑を買い戻し、自作農になることだった
そのため寝る時間も惜しんで、豆腐売りの傍ら百姓の仕事や魚の行商など一生懸命働いた

19歳の時に結婚
その後2回、蟹工船にも乗っている

長まろ
長まろ

蟹工船についてはこちらご参考に!

白鳥はその時期に賭博を覚える

その後、家族で青森に移住し豆腐屋を始めた
ただ、賭博はやめられずお金欲しさに土蔵荒らしを仲間と行うようになった
家族は子供3人に恵まれたが、だんだん家庭に戻らなくなって、賭博や盗みを働いていた

ある日、仲間2人と青森市内のお店に忍び込んで、盗みをしていた
その時に家の人に見つかり、争っているうちに短刀で刺して殺してしまった
仲間と2人で殺害してしまったらしいが
仲間が先に捕まり白鳥が主犯だと言ったため、白鳥は主犯格として警察に送検される

青森刑務所

白鳥27才の時に青森刑務所に移され、刑が決まるのを待つ身となった
そこでは看守から拷問のような罵声やひどい仕打ちを受けた

おが太郎
おが太郎

そのため、脱獄を決意することになります。
どうやって脱獄をしたか??

食器を出し入れする小窓があって、中からでも開くようになっていた
看守の隙を狙って食器口から手を出して、その上にある鍵穴に手を押し当て鍵穴の形を写しとった

鍵を開ける材料が必要だった
当時房内の便器が汲み取り式で自分で汚物を捨てに行く必要があった
その汚物を捨てに行った際、廊下で偶然針金が落ちていた
それを数日間かけて加工して手製の鍵を作った

脱獄を狙った時間は真夜中で監守の交代時間

おが太郎
おが太郎

その時間は看守の気の緩む時間帯で、巡回がこない空白の15分間があることがわかっていたのですね。

そしていよいよ脱獄の日
午前0時を過ぎた頃に布団と毛布と枕を使って寝ているよう偽装
あらかじめ用意した自作の鍵で
収容所の独房の鍵を開けて脱獄

おが太郎
おが太郎

脱獄するのに

合計3つの扉を一本の鍵で開けてるんだけど、一体どんなカギなんだ??(笑)

白鳥が脱獄したことがバレて
総勢約240名で探す

そんな彼は脱獄後山に逃げた
山で芋を貯めておく芋蔵を見つけた
穴の入り口は木の枝で隠し、その中で寝泊りした

食べ物は木の実や山菜ばかり食べていたため下痢を起こし
潜伏して3日後に山を降りて、病人を装っていたところ逮捕

おが太郎
おが太郎

彼の犯した罪は土蔵荒らし、殺人、脱獄でこれらを加味して無期懲役となりました

白鳥は自分の妻を刑務所に呼んで離婚した
家族とこれが永遠の別れとなる

その後、東京の小菅刑務所へ移送される
鉄筋コンクリート造りで、水洗便所など建物が当時最新の刑務所
小菅刑務所では小林良蔵という信頼のおける看守長に出会い
ここでは虐待されることはなく白鳥も服従した

おが太郎
おが太郎

一方、刑務所の外では日米戦争へのカウントダウンが始まりました

戦時罪囚移送令が国から出される

・首都に重罪人を収容しておくと治安上問題
・国の非常時に刑務所も労働の一員として協力、主に軍需品の製造

これによって白鳥は地方の刑務所に送られることになる

秋田刑務所

開戦の2ヶ月前に秋田刑務所に移送になる
青森刑務所での脱獄があったため、秋田刑務所では厳重な体制がとられた

幅2メートル 奥行2.5メートル 高さ3メートル の長方形の監房
昼間でもほとんど陽が射さない部屋
高い天井に薄暗い白熱電球が1つ、明かり窓は天窓1つ
壁、床はコンクリートで固められていて、さらにその壁には銅板が張られている
扉には食器を出し入れする窓もない
床は薄いゴザが一枚あるだけで
床のコンクリートの冷え込みが寒くてじっとしていられない
常に正座をさせられ、足を崩すと怒鳴られる
長まろ
長まろ

まぁそうなるよね(笑)

おが太郎
おが太郎

ここから出してくれるよう何度も看守にお願いしたが、聞き入られなかったんですね。
劣悪な環境や看守の態度に我慢できず脱獄を決意します。


白鳥は天窓に狙いをつける
天窓は金網でおおった30cm四方のガラスでできていた
白鳥は壁が直角に交わる場所に両手と両足で踏ん張って、上に登った

おが太郎
おが太郎

SUSUKEって番組のファイナルステージは両端に板があるけど、 直角だよ! しかも、壁には銅板が張られているから、普通の人だったらツルツルしていて滑ってしまうよね。
何十回も練習して、息を詰めて指先に力を入れて登ると成功することができたらしい。
あと彼の特殊体質の一つと言われているんだけど、手足の裏の皮膚を伸縮させ、吸盤のようにできるんだって!

長まろ
長まろ

刃牙に出てくるシコルスキーみたいな感じかな(レベル感は違うけど・・・)

天窓の枠に取り付けてあったブリキ片と錆びた釘を見つける
このブリキ片に釘を何度も突き刺して、ギザギザにとがらして即席のノコギリを作った
このノコギリで、木枠の四方に切り込みを入れていく
この作業は看守に発見されないため、昼間の看守の交代時間の隙で1日10分だけ行った
作業期間、ノコギリはゴザからとった紐で天窓にくくりつけた
これで1日1回あった房内の点検も天窓は高いから検査されず見つからなかった
10日程続けて木枠への切り込み作業が完了した
それでガラスに頭突きを数回したら天窓が外れた

おが太郎
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ただそこで逃げずに、もう一度天窓をはめて脱獄するタイミングを図ったんですね

脱獄をしたのは脱走時の音や足跡を消してくれるため暴風雨の夜
あらかじめ外せるようにしていた天窓を開けて屋根に飛び移った
地上に降り、刑務所の敷地内にある工場に忍び込んだ
一番外側の屛が4.5Mあったから、工場で乗り越えるための道具を探した
そこで丸太を見つけ、丸太を踏み台代わりに使って外に脱走した

おが太郎
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この一連の脱走の流れは約40分間の出来事で、刑務所側が白鳥の脱獄に気づいたのは起床号令の点呼の午前6時。 脱走から6時間後くらいなんだよね。
白鳥は秋田刑務所でのひどい仕打ちを訴えたがために脱走したんですが、それを小菅刑務所の看守長小林良蔵に訴えることにしました。そのため秋田から東京を目指します。

赤い囚人服を着替えるため近隣の家に忍び込み着物等を盗んだ
途中で捕まらないように列車には乗らずに歩いて目指した
真夜中しか歩かないように自分でルールを決め、脱獄後3ヶ月かけてようやく東京にたどり着いた

白鳥は小菅刑務所付近の看守らが住む官舎エリアに行き一軒一軒訪ねて小林良蔵の家を探した
小林に脱獄した理由を全て話して、明け方一緒に小菅警察署に自首した
その後、 秋田刑務所の白鳥のいた鎮静房は廃止された

おが太郎
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廃止されたことと白鳥の行動に直接関係があるかは不明ですが・・・

その後、東京の小菅刑務所にしばらく収監された
5ヶ月ほど経って突然、日本最北端の刑務所「網走刑務所」へ送られる

網走刑務所

1943年 36歳の時に網走刑務所へ

現在では日本で唯一の監獄博物館として一般に公開されている

博物館 網走監獄 公式サイト
「北海道開拓と監獄受刑者」をテーマとした景勝天都山麓に位置する野外歴史博物館。オホーツクの四季を通し様々なイベントを行っております。
おが太郎
おが太郎

しかも白鳥が収容された監房が復元されているみたいです!

脱獄不可能と言われたほど厳重な刑務所
高さ4.5メートルの塀が周囲1kmに渡って続き
どの扉にもノブがついておらず、大きい鍵を入れることでノブ代わりにして開ける
何と言っても極寒の地で真冬はマイナス30度にもなる
暖房の入った監房でもマイナス8~9度

網走刑務所には凶悪犯や重罪人が多く収監されていた
白鳥はその中でも特別厳重な監視体制が取られた
狭い独房で手錠を付けられたまま
服は夏物の薄い服一枚のみ

おが太郎
おが太郎

白鳥の特徴として背はそこまで高くないけど、筋肉の塊のようなごつい体格
で力がすごいあるらしいです。看守の態度が気に入らなく手錠を3回も強引に引きちぎったとか。

3回も手錠を破壊したので大きな手錠と足錠をされた
それに使われている鎖も重さ20キロほどある重厚な鎖
その手錠と足錠には鍵穴はなくナットで固定されており
そのナットは看守が二人がかりで思いっきり絞めた

おが太郎
おが太郎

風呂にも入れず、一週間に一度看守が水でふくだけであったので、
手錠・足錠がずっと皮膚とこすれるんですね。
そうするとそこに蛆がわいてくるみたいです・・・

孤独死とかで死体がずっと放置されると蛆がわくことがあるけど、

生きている白鳥に蛆がわいたってことは、どれほど劣悪な環境だったかがわかりますね

食事も僅かなお米とたくあんと葉っぱが2、3枚浮いている塩汁のみ
それで手錠・足錠されているから口だけで食器をくわえて食べる

そんな状況下で体はしびれ感覚がなくなり
死が身近に迫っていることを痛感する
これら虐待に対する反発から脱獄を決意

長まろ
長まろ

まぁ人殺しておいて何言ってんの?って感じしかしないですけどね・・・

独房から逃げるには高さ1.4Mのところに視察口がある
縦20cm×横40cm、縦に5本の鉄棒が鉄枠に溶接されている
この鉄枠を外すことができればこの隙間から脱出できると考えた

おが太郎
おが太郎

家にあるもので探してみましたが、
電子レンジの扉を開けた中の空間が大体それぐらいでした。
実際に身体が入るか試しましたが、肩がぶつかるんだよね。
レンジに頭突っ込んでるとこを妻に見つかって白い目で見られました(笑)

長まろ
長まろ

ちーん(笑)

白鳥は肩や手足の関節を自由に脱臼できる
そのため視察口に頭さえ入れば、両肩の骨を外して出ることができる

長まろ
長まろ

この辺は『ゴールデンカムイ』の白石由竹も同じですね!

鉄枠を外すために食事に出てくる塩汁を半年間鉄枠に垂らし続けた
鉄が錆びることで緩んできて外すことができた

おが太郎
おが太郎

白鳥には「人間が作った物は必ず壊せる」という信念があったそうです

手錠は手錠同士ををぶつけ歯で何万回も噛んだ
同じことを昼も夜も半年くらい続けて行った結果
歯が二本折れたが、ナットが緩んだため外れた
足錠はぶつけて壊した

1944年8月の暴風雨の夜に脱走
手錠・足錠を外し、視察口の鉄枠を外して
あらかじめ自分の両肩の骨を外す
視察口に頭を突っ込み独房を脱出

舎房の天井は採光窓になっていたのでそこまでよじ登って
それを頭突きしてガラスを割って屋根に出た

その後、地上に降りて無人の工場に入った
そこでストーブの支柱を見つけそれを剥がして塀のところまで運ぶ
支柱をイス代わりに利用して4.5メートルの塀を乗り越えた

おが太郎
おが太郎

ここまでの一連の脱走時間は約20分もかかっていないそうです

刑務所では脱獄に気づいたのは脱走後の一時間ほど
総勢700~800人で2か月かけて捜索するが見つからず

農民の家に忍び込み食料と衣類を盗んで
山中にあった鉱山跡の穴の中を棲家にした
最初に穴の入り口を木などで覆って見つかりにくくした

ある時近くの学校に忍び込んで新聞記事を見つけた
そこで初めて白鳥は日本が戦争に負けたことを知る
終戦後十ヶ月後であった

どうせ自分は占領軍に死刑にされると思い逃亡をやめ、山を降りる気になった

畑の近くを通ったときに畑泥棒と間違えられた
一人が木刀もって応援に来て二人から殴れた
泥棒はしてないから品物を調べてくれと言ったが聞き入れてくれず
持っていた短刀で一人を突き刺し殺してしまった

おが太郎
おが太郎

この事件をきっかけに白鳥は再び捕まります。
彼の脱獄期間は665日にも渡りました。
長期間にわたり逃走に成功した例は網走刑務所の創設以来無いそうです。

白鳥は裁判で死刑判決を受けることとなる
これは殺人、窃盗、逃走の罪が併合されて死刑判決となった

長まろ
長まろ

この時点で最低でも2人殺してて盗みや脱獄考えると妥当ですよね・・・

白鳥は不服のためすぐに控訴をした
この間に白鳥に逃げられないように厳重な札幌刑務所へ収監することとなる

札幌刑務所

白鳥は特種不良囚として特に厳重に監視される

独房の前で看守が対面で24時間体制で監視され続けることとなる
四人の専任看守が拳銃を携帯し交替で監視し、くしゃみや咳をしたことまで詳細に報告された
逃げるそぶりがあれば射殺するように命令も出されていた

おが太郎
おが太郎

白鳥はまた脱獄を決意しますが、ここでの脱獄を決意した理由は今までの待遇に不満があったこととは違い、死刑に対する恐怖からの脱獄です。
そのため札幌刑務所からの脱獄は他の3つよりもはるかに準備期間が短かったそうです。

札幌刑務所側も白鳥の過去の脱獄時の原因を徹底的に研究していた
独房の扉・天井・採光窓・鉄格子
これらを新たに補強して鉄の箱のようにして脱獄不可能な構造に作り変えた

ただ、ここでも白鳥は1箇所だけ弱点を見つけた
床板の下が土ということに気づく

おが太郎
おが太郎

なぜ気づいたのか?
床は木の板張りでゴザの編んであるワラを引き抜いて、先に唾をつけて床板の隙間にたらして、
引き出したら先端に土がついていたそうです。

床板を切るための道具として即席のノコギリを準備
検事から取り調べを受けた時の取り調べ室で、ドアのガラスを止めてあった釘を見つける
それを服の袖に隠し独房に持ち込む
それと洗面用の桶に鉄タガがはめ込んであったのでそれを引きちぎって外した
秋田刑務所の時のように、鉄タガに釘をさして、ギザギザにして即席のノコギリを作った

そのノコギリで床板を少しずつ切っていく
白鳥は正座をして内またにノコギリを隠し、
その状態で寒くて貧乏ゆすりをしているように見せかけ床板を切った
床板を完全に切り離す作業は10日近くかかった
その間にも、房内の点検が1日2回ある。
バレないようにしなければいけなかった
床板の切り口は米粒とほこり木くずを混ぜ
切り口に刷り込ましたことで気づかれなかった

ノコギリは便器の裏底に隠した

おが太郎
おが太郎

これは、看守が点検をする時、これ人の心理だけど、
便器は汚いから細かく点検されなかったんですね

水洗便所ではないから汚物が便器いっぱいに溜まったら、
汚物を捨てるために便器を外に出す
白鳥は食事の量を減らすことで
便器に排泄物が溜まる日数を伸ばし
隠したのこぎりがバレないようにした

いよいよ夜に脱獄する
巡視する間隔に15分間の隙があり、その間に毛布を一枚丸め
枕を頭の格好に見せかけ寝ている姿を偽装した

切った床板を外して床下に潜りモグラのようにひたすら土を掘る
アルミの食器と手で2メートルくらい掘って官舎の外へ脱出
脱出にかかった時間は2時間ほど

刑務所敷地内の中間に2メートル以上の塀がある
そこは刑務所内の雪捨て場になっていて
凍った雪が塀の2/3の高さまで積み上げられていた
その雪を踏み台にして塀を超えた

正門近くの柵を乗り越えて外へ出た
掘った穴を出てからは20分ほどの出来事

警察は近郊の山を捜索したがみつからず

白鳥は山中で小屋を作って生活をしていた
時折、生活物資を調達するために、町に出て盗みまた山へ戻る
一か所に留まらずに山々を転々として逃亡生活をしていた

そのうち白鳥は昼間でも堂々と町中を歩くようになった
脱獄して295日目に警官に出くわし職務質問を受けた
警察は最初不審な印象を受けなかったが荷物を点検すると
ものすごい量の生活用品を背負っていた
自分が白鳥由栄であることを正直に話した
こうして警察に自首をして再び捕まり裁判が行われた
彼は畑泥棒と間違えられ殺害してしまった件の
1審で死刑の判決を受けている控訴審が行われた

白鳥の弁護をした斎藤弁護士が殺人に対して殺意が無かったことをとりあげ傷害致死を主張
これが認められ死刑を免れ懲役20年となった
それに最初に出ていた前の罪の無期懲役があるので結果無期懲役となる

彼は斎藤弁護士に感謝し「真面目に大人しく刑に服します」と言った

その後

1948年にGHQの命令で白鳥は札幌刑務所から東京の府中刑務所
理由:脱獄を繰り返す彼を日本で一番厳重な刑務所へ

そこで、鈴木所長に出会う
彼が白鳥と会って最初にしたのが手錠・足錠を外させた
それだけでなく刑務作業も他の囚人と同じようにさせるなど扱ってくれた

白鳥も模範囚になるため頑張った

おが太郎
おが太郎

ここでエピソードを1つ紹介します

受刑者を慰問してくれる「小さな奉仕の会」という慈善団体がある
その会長が白鳥に小鳥を1羽送った
これに白鳥は非常に喜び、その小鳥を大事に飼っていた
だがある日その小鳥を逃してやりたいと看守に言ってきた
「いくら大事に飼っていても、籠の鳥は所詮籠の鳥で自由がない。
自分も鉄格子の独房に入れられた籠の鳥で毎日小鳥を見ているとやり切れなくなる。
せめて小鳥だけでも自分の心を託して自由な大空に逃がしてやりたい」
白鳥は小鳥を空に逃がした
長まろ
長まろ

殺人犯でもこーいう心はあるんだよね・・・
罪を犯す前に考えられなかったのかな。

おが太郎
おが太郎

白鳥は約13年ほど府中刑務所で模範囚としてつとめ仮出獄が認められます。

27歳で初めて逮捕され、その時には54歳になっていました。

仮出獄なので保護観察中の身分にはなるけど..
その後建設現場などで働き決して贅沢ではないが普通の生活をしています。

晩年は心臓が悪く、1979年、71歳の時に心筋梗塞で亡くなりました。
もう1つエピソードを紹介します。

白鳥は身寄りがなかったので遺骨の引き取り手がなかった。
それを知ったある女性が遺骨の引き取りを申し出ている。
彼女は白鳥が仮出獄後にアパートで暮らしていたときに、隣に住んでいた当時5歳だった女性。
白鳥はその5歳の女の子を可愛がり、お菓子やお人形をよく買ってきてくれたりした。
自分の娘と重ね合わせていたのかもしれない。
その女性によって丁寧に埋葬された。
長まろ
長まろ

罪を憎んで人を憎まずですかね。

まとめ

大東亜戦争という激動の中
戦争を直接経験することなく彼はずっと囚人として孤独な葛藤をしてきた

【脱獄した理由】
4回目は死刑への恐れであったが、他は刑務所でのひどい仕打ちや待遇に対する反抗

おが太郎
おが太郎

もちろん、自分が悪いことしてっていうのが最初にあるのかもしれないけど、
彼は終始人として「認めてほしい、扱ってほしい」想いが強くあった。
それが自分は伝わってきました!

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