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なみだは人間の作るいちばん小さな海です
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アメリカ
サンフランシスコに着くと港から祝砲があげられ歓迎ムード
●宿泊のため用意されたグランドホテル ロビーに入ると床は磨きあげられていて、大理石が敷き詰められていた シャンデリアがぶら下がっていて荘厳な造り ボーイに案内されたの妙に小さな部屋はエレベーターであった
グランドホテルで大きな宴会が行われ参加者は300人を超え
知事、市長、各界の名士らが参加
伊藤博文による「日の丸演説」
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日本人として外国の公式の場で英語で話したのは初で、
しかもその時に、日の丸について話しています
伊藤博文「わが国旗にある赤いマルはもはや帝国を封ずる封蝋のように見えることなく、 いままさに洋上に昇らんとする太陽を象徴し・・・」
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封蝋とは?昔、封筒を密閉するのに熱いロウをたらしスタンプして密閉する
赤い丸のスタンプよく使われていて、白い封筒に赤い丸の日の丸と
密閉する=鎖国とかけてる。伊藤博文の渾身の持ちネタですね。
サンフランシスコからアメリカ大陸を東に横切ってワシントンへ行く
ホワイトハウスへ招かれグラント大統領と会見
アメリカNYタイムズの当時の報道
「この使節団は天皇の命で派遣されたのもので、支配階級がこれまでのように目下の者の報告に
甘んじているのではなく自ら西洋文明を学ぶことにある」
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アメリカの想いもよらない歓迎ぶりに、不平等条約の撤廃いけるんじゃない?と考えますが・・・
アメリカ国務長官フィッシへ話を持ち掛けようとするが、
岩倉使節団が天皇の委任状を持っていないため話し合いにも応じない
大久保利通と伊藤博文が日本へ一時帰国
委任状を持ってアメリカへ再度行く
結局は、国力の差からアメリカが日本に対して譲歩するわけもなく相手にされなかった
それからは不平等条約の改正への交渉をあきらめ各地を巡る
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どんな所を巡ったの?
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議会、紙幣発行所、留置所、製鉄所、郵便局、学校、博物館、劇場、水族館
ありとあらゆる所をみて、日本へ活かそうとしていたみたいだね!
イギリス
イギリスは世界一の大国で「イギリスに日没を見ず」と言われていたほど
岩倉使節団の印象では
そんなイギリスは決して恵まれた肥沃な土地ではない
緯度からみると北海道の上にある樺太と似たような位置に存在する
日本に比べれば寒い土地で、緑はあっても羊や牛が食べる位の草しか生えない
同じ島国であり、国の面積も似たような所がある
当時イギリスの人口は約3200万人、日本は約3500万人
ただ、イギリスは植民地を含めると2億4000万人
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日本と共通点が多い国、それでいて決して恵まれていない土地であるイギリスが
世界一の大国として君臨できたのか?がとても気になったようですね。
それは、いち早く始まった産業革命により工業化が進み
その影響で綿や麻を織物に加工したり、
蒸気船、機関車、武器などを作り世界中に販売して貿易を行っていた
この産業革命による工業化と貿易によって発展した国
また、使節は当時の英王であったヴィクトリア女王と謁見した
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発展している都市だけでなく、田舎も視察してます。
イギリスの貧困区の人たちがアヘンを吸って賭博をしていた様子なども見たそうです。
フランス
美しい建物が並んでいて 道路は整備され脇には立派な木が植えられている
イギリスとはまるで別世界
フランスは、イギリスよりは緯度が低く、日本で言えば北海道、東北あたり
肥沃な土地が多く、農業の生産が盛んに行われいた
2年前に隣の国ドイツに普仏戦争で敗北して莫大な賠償金を課せられていた時期であったが
それにもかかわらずパリの街はその面影もなく華やかだった
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全体的に富の落差がなく平準化されていると感じたようです
特徴としては約80年間の間に6回も王政と共和制を繰り返してきた
日本は立憲君主制(天皇)の国家
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木戸孝允はそれまでの共和制寄りの考え方していたんだけど
フランスを見て必ずしもそれが良いわけでもないと感じたようです
デメリット:議論で決めようとするとどうしても目先の利益を優先する傾向になり、10年先、100年先の案は通りにくい
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今の日本なんか正にそれだね!
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ここまでアメリカ、イギリス、フランスを見てきましたが、これらの国はかなり発展していて
日本が手本にするには中々手が届かないと感じたようです
オランダ
日本が鎖国時からヨーロッパで唯一貿易していたのがオランダ
ここから医学や武器、色々な発展した知識をもらっていた
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何でヨーロッパの中でオランダとだけ貿易してたの?
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簡単に言えばキリスト教の布教をしないことを約束した上で貿易をしていたんだよね。
はじめに日本に来ていたスペインやポルトガルはカトリックで日本への布教も目的だったけど、
プロテスタントのオランダは貿易できるなら布教はしなくてもいいって判断したみたいだね。
オランダは湿地帯の国土が広がり石炭も木材も鉄もない資源の乏しい国
ライン川下流に位置してるから湿地帯が多い
そのかわり積極的に海外に出て貿易や植民地政策を行っている
人口は約380万人だが、植民地を含めると約1800万人
他国と貿易などで積極的な関わりを持つことで栄えていた
ドイツ
普仏戦争に勝利した後のドイツ
使節団は当時の首相であったビスマルクと直接会話をしているが、
今まで巡ってきた中で一番ドイツに感銘を受けたと言われている
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それはなぜ?
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ドイツと日本には共通点があったからです
①ドイツは以前は小さな国の寄せ集めだった ビスマルクがプロイセンの首相に就任した時、 ドイツの領内は300ぐらいの諸侯がいる状態だった。 共通の敵フランスを倒す名目でドイツが一つとなった 日本も廃藩置県の直後で300弱の藩にそれぞれ大名が統治している状態で その体制を廃止して国直轄の管理に統廃合された。 ②同じ弱小国だった 周りがフランスやイギリス、ロシアのような大国で、対等に交渉できる存在ではなかったのを 数十年かけて軍事力を強化して戦争を優勢に進めることで、ようやく周りの大国と対等に会話ができるようになった
そこでビスマルクに言われたのが、
「不平等条約の改正を議論しているようだが、弱い国がいくら交渉していても意味がない。
大国は利益があれば法を守るが、なければ簡単に破って武力を使うだろう。まず日本は強くなるべきだ。」
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大久保利通が感銘を受けてビスマルクを「大先生」と呼んで西郷隆盛に手紙を送っています。
使節団の帰国後、日本はドイツ式の軍隊を参考にし、国力をつけて「日清戦争」「日露戦争」へと進んでいくことになります。
留守政府から木戸、大久保に帰国命令が行く
当社の予定である10ヶ月はとうに過ぎていたから
そこで大久保はすぐに帰国するが、木戸はロシアを見てから帰りたいと残る
ロシア
ロシアの首都サンクトペテルブルグに向かう
当時日本では世界で最大最強の国はロシアと考えていた
樺太や対馬で領土問題があり、最も警戒すべき相手だと思っていたが
実際行って見ると未開拓の土地が多く、みすぼらしく見えた
当時、ロシアの人口は7900万人
絶対王政の国で使節団が行く10年前に奴隷解放令が出ていた
それまでロシアの農民は決められた土地に縛られ過酷な労働をさせられていた
農奴解放令によって自由に土地を選べるようになったが、結局は農民が土地を買わなければいけない
そのため、奴隷に近い貧しい生活をしていた
少数の王侯貴族だけが富を得て大多数の国民は貧困にあえいでいる
国力と言うのは一部の王侯貴族によるものではなく、一般の民衆による力が大事
イタリア
歴史ある国で、かつてローマ帝国が盛えていた
しかしローマの街にはホコリ、ゴミが散乱、貧しい子供の姿が目立っていた
使節団はヨーロッパを回った中で最も貧困民が多く、清潔ではないという印象
皇帝エマヌエル2世と夕食
寺院や宮殿など歴史ある建築物を視察した
ヨーロッパの原点はここにあると感じた
特にキリスト教(カトリック)のトップのローマ法王がイタリアにいる
宗教の絶大な影響力をこのイタリアで感じた
その他
こうして視察した国は12カ国
アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、
スウェーデン、イタリア、オーストリア、スイス
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本当はこの他にスペイン、ポルトガルも行く予定だったが、
留守政府内で政策の違いでもめ事があったりして帰ることになったそうです
帰りはスエズ運河周りのルート通った
エジプトにあってアジア側とヨーロッパ側の行き来を短縮するために
160キロ程の水路つくって船でいけるようにした
これによって、それまでアフリカの喜望峰を周らなければいけなかった航路を約8000キロも短縮した
そんなスエズ運河を渡ってアジア方面を通り
途中セイロン島、インドネシアを通った時に、
ヨーロッパに植民地状態になっている現状を見る
元々いた現地人の暮らしはかなり貧しい暮らしをさせられている
香港ではアヘンが売買をしている様子を実際に見て、
大国に支配された植民地の悲惨さを痛感した
こうして、1年9ヶ月にわたり12カ国を巡った岩倉使節団は日本へ帰った
結果
岩倉使節団の視察結果を踏まえ、日本は欧米を模倣し一気に近代化を進めていく
そして富国強兵を掲げ、軍事力にも力をいれ、
その後、日清戦争、日露戦争と他国へ戦争を仕掛けていく
結果的にそれらの出来事のおかげで徐々に大国との不平等条約がなくなることとなる
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表面的な視察じゃなくて、本質を突いている言うか細かく見ているなと感じた。
今の首相も海外訪問するけど、このくらい力を入れて見てほしいな!