エルトゥールル号遭難事件 なぜトルコは親日なのか?(Ertuğrul Incident)

事件
長まろ
長まろ

トルコがなぜ親日国なのか?これを見ればわかります!

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エルトゥールル号遭難事件

おが太郎
おが太郎

なんか名前は聞いたことある!

長まろ
長まろ

たまにTVとかでも特集組まれてたりするから聞いたことある人はいるかもね。
簡単に説明しちゃうとトルコの船が沈没して、日本人が助けたっていう話です。

時代背景

大日本帝国憲法が制定された頃
明治時代も20年くらい経過して初期の騒乱が落ち着いたころ
当時トルコは「オスマン・トルコ帝国」の時代だが、
欧米列強国に領土割譲や不平等条約を結ばされており、
かつての覇権国の地位からは衰退していた。

事件概要

オスマン帝国の船が日本に来て、帰るときに座礁してしまう
場所は和歌山県串本町沖(紀伊半島の最南端)
1890年9月16日に起こる(台風シーズン

地図上の「船甲羅」と呼ばれる岩礁が事故地点

日本側は台風シーズンのため帰国を延期した方がいいと提案したが
トルコ側は「台風を恐れて帰国しなかったと広まったらオスマン帝国の威厳に関わる」として、
悪天候でも船を出立させ事故に遭ってしまう

約600名が乗船していたが、生存者は69名
艦長のオスマン・パシャも亡くなる

長まろ
長まろ

実際に現場に行ったことあるんだけど、結構陸からは近い地点で座礁したんだよね
天候が悪くて当時夜半だったから何も見えなくて被害が大きくなってしまったと思われる

日本人のしたこと

当時の和歌山県串本町は漁生活者が住む貧しい漁村
医者もいなければ食料も満足にあったわけではない 

命からがら陸にたどり着いたトルコ人を助ける
言葉も地理も全くわからないトルコ人からしたら相当不安ではあったと思うが
そんな事情を汲んでなのか串本町の人々は生存者を献身的に介護する

なぜ日本に来たのか?

オスマン帝国も列強国との不平等条約に悩まされていた
日本も同じ悩みを持ち、同じアジア国ということもあり、
地理的には離れているが利害が一致し、
立場も類似していることから親近感がお互いにあった

長まろ
長まろ

実は先に日本の皇族がオスマン帝国に派遣されていて、
その返礼としてオスマン帝国の使節が明治天皇に謁見した帰りに起きた事故なんですよね

おが太郎
おが太郎

トルコの人もそのことをずっと覚えてくれているなんていい話だね

長まろ
長まろ

この話まだ続きがあります。時代はかなり進みます
オスマン帝国はトルコ共和国に代わり、大きな世界大戦が終わり、
米ソ冷戦の最中に時代が飛びます!

イラン・イラク戦争での恩返し

イラン・イラク戦争とは・・・1980年から1988年にイランとイラク間で行われた戦争

1985年に当時のイラク大統領であるサダム・フセインが
48時間後イラン上空を飛ぶ全ての飛行機を撃ち落とす」ことを宣言
これによってイラン国内にいた邦人は何とか脱出しようと試みる

長まろ
長まろ

当時自衛隊が海外派遣なんてできなくて、政府としては他国にお願いするしかできなかった状況で、民間の航空会社も安全が保障されないことから航空機を出すことを躊躇していました。

この状況を見たトルコ政府が、トルコ人用に用意していた飛行機を日本人脱出のために使用する
トルコとイラン・イラクは陸路でつながっていることから、
本来飛行機に乗る予定だったトルコ人は陸路で帰国することになった

トルコ政府の声明「私たちは95年前に日本人がしてくれたことを忘れていません
長まろ
長まろ

エルトゥールル号事件を直接知っているような人はもう生存していないだろうし、
国もオスマン帝国からトルコ共和国で変わっているにも関わらず、
トルコ人としてのアイデンティティが日本人への恩を持ち続けていたんだろうね

おが太郎
おが太郎

すごくいい話だね!
もっとみんなにも知ってほしいね!

おまけ

長まろ
長まろ

エルトゥールル号事件は『海難1890』という映画になってます
日本とトルコの合作ですね。
友好125年を記念して2015年に作成されました。
今でも両国の関係は良好ですね

おが太郎
おが太郎

トルコは親日の国として有名だけど、こんなエピソードがあったんだね

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