少し広いテーマになりますね
音声はこちら↓↓↓
大東亜戦争の結果
1945年8月15日 玉音放送~終戦となる
※世界的には1945年9月2日が終戦日
死者数・・・軍民併せて約300万(ブレあり)
当時の日本は総人口で7000万のため、人口 の4%くらいが亡くなる
・2発の原爆と空爆により都市の荒廃
・獲得領土の放棄
・多額の戦後賠償
いったい何のために戦争したの?って考えちゃいますよね・・・
大きすぎる国力の差
1939年時のGDP ※()内は対前年比 日本 :1960.4億ドル (+15.8%) イタリア:1510.9億ドル ( +7.3%) ドイツ :2411.0億ドル ( +4.7%) アメリカ:8640.1億ドル ( +8.0%) イギリス:2869.5億ドル ( +1.0%) フランス:1989.4億ドル ( +7.2%) ソ連 :4303.1億ドル ( +6.2%)
アメリカと日本は4倍違います!ちなみにソ連と日本では2倍差。
逆に言えばコテンパにやられたのに「たったの4倍!?」の見方もできるのではないでしょうか。
資源をほぼ輸入に頼っていた日本と資源大国アメリカでは国力以上の差があった
大東亜戦争のはじまり
日本にとっての脅威はいつの時代も常にソ連(ロシア)なんですよね
中国大陸進出、韓国併合、満州事変
これらはソ連(ロシア)の南下を防ぎつつ大陸植民地の獲得が目的だった
1937年 日中戦争⇒ここから大東亜戦争が始まる
※満州事変から、真珠湾からなど諸説あります
たいていの人は第二次世界大戦=太平洋戦争・・・日米戦争のイメージ
日中戦争の激化や日独伊三国同盟により、国際的にも孤立
アメリカによる石油などの資源封鎖の制裁
⇒残備蓄で戦うしかない
⇒戦うなら早い方がいい
⇒開戦(真珠湾攻撃)1941年12月9日
アメリカの太平洋艦隊を叩くことでしばらく太平洋の制海権を奪う形になります
戦争当初は電撃戦で次々と勝利を重ねる
マレー半島の占領、南太平洋諸島やインドネシア、フィリピンなどを次々に支配域とする
東亜新秩序を目指した日本による欧米からの解放がスローガン
⇒実際は単なる豊富な資源の確保
次々と勝利できたのは相手が精鋭部隊ではなかったのもあります。
例えばイギリス軍は当時欧州戦線でナチスドイツと戦っていたので遠く離れた海外領土にそこまで兵を割けませんでした。
戦局の転換~敗北
ミッドウェーの戦いで敗北以降
アメリカが形勢を立て直したため、物量差で日本軍がどんどん追い込まれる
戦線を後退させて「絶対国防圏」の死守
⇒サイパン島の戦いに敗れ絶対国防圏を守り切れない
⇒B29による本土空襲が本格化
詳しくはサイパン島の戦いをご覧ください
ここまで追い込まれていて何で講和しなかったのか?
それは「一撃講和論」にこだわっていたからと言われています
一撃講和論 降伏するにしても一度大きくアメリカを叩いてから降伏した方が 条件面で有利になると考えられていました。 降伏を言い出す側は条件面で全て譲歩になってしまうため、 特に国体の維持にこだわっていた日本にとって、即座に降伏はできなかった 沖縄戦くらいまでずっと根強く考えられていました。
【降伏を決めたきっかけ】
ソ連の対日参戦が決め手となる(1945年8月9日)
日本とソ連は相互不可侵条約を結んでいた
しかしヤルタ会談(1945年2月)で対日参戦は決まっていた
ソ連はドイツ降伏から2~3か月で対日参戦を約束する
ただ見方を変えるとアメリカと単独で戦っていたら本土決戦もあり得たかもしれません
実際アメリカも本土決戦を意識した作戦を立てていたようです
【放送で言ってない話】
アメリカは戦後ソ連が敵となることはわかっていたので、
日本を何としても対共産圏の防御壁として味方にしたかった
そのため日本を徹底的にたたくこともできたが、
その後のことを考えて本土決戦を回避したとも言われる
まぁ十分ボロボロにしたやんって感じですが・・・
実際日本は残存兵力も多く残っていたし、
その兵員たちが帰国して復興に大いに貢献したとも言われています
逆を言えばそれだけ日本は余力を残してたとも言えるんですよね。
戦後教育の影響かわかりませんが、そういったことは一切教えてくれません
まとめ
結果的に日本はアメリカ統治となり、今でもアメリカの影響の強い国になった
大東亜戦争をどのように見るかは人によって違う
結果的に良かった、悪かったは一概に言えない
事実として多くの人が日本という国を遺すために散っていった
そのことに敬意を払わずにはいられないですね