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はじめに
大正天皇 1879年8月31日(明治12)~1926年12月25日
天皇在位15年間(1912年~1926年)
諱は嘉仁(よしひと)
・漢詩の天才
・気さくな人柄
・子煩悩
であったとされています。
ちなみに他の天皇の名前 明治天皇・・・むつひと(睦仁) 昭和天皇・・・ひろひと(裕仁) 平成の天皇・・・あきひと(明仁) 令和の天皇・・・なるひと(徳仁)
明治時代(1868年~1912年)45年間
昭和時代(1926年~1989年)62年間
※昭和元年と64年は数日だけ
大正時代とは
大きな出来事
第一次世界大戦(1914年~1919年)
関東大震災(1923年)
「大正デモクラシー」・・・民主主義運動
大正ってあまり印象がない方が多いと思いますが、実は大きな世界大戦と誰もが知ってるような大災害があったような時代なんですよね。
大正天皇の生涯
幼少期~病気との闘い~
1879年8月31日 明治天皇と柳原愛子の間に生まれる
生まれつき病弱で生誕時から長く生きられるかわからなかったと言われていた
幼少期からしきたりのため親元から離れて生活する
1889年に皇太子となる
明治天皇の息子は何人か生まれたのですが成人できたのは大正天皇だけでした。
学習院初等科に入学
⇒同級生と学ぶことで症状は改善するも、病気で付いていけなくなり退学
百日咳、腸チフス、軽度の肺結核など様々な病状だったそうです
勉強の遅れをとり戻させるために休みなく詰め込み教育
⇒健康悪化のスパイラル
このような状況に見かねた伊藤博文が
明治天皇に健康増進を最優先するべきであると進言
有栖川宮威仁親王を教育係に付けた
⇒このことで病状が快方に向かっていくことになる
有栖川宮威仁親王は健康第一、勉強はその次でいいという方針で
大正天皇を弟のように可愛がり、大正天皇も兄のように慕ったそうです
結婚~病状の回復
1900年 貞明皇后(九条 節子)との結婚
当時大正天皇20歳、貞明皇后は15歳でした
元々は別の妃候補がいたが、健康面を考えた末に
九条節子が選ばれたとされています
大正天皇はそれまでの一夫多妻制は望まずに一夫一妻制を選択しました
これ以降の天皇も一夫一妻制ですね
1901年 裕仁親王(昭和天皇)誕生
その後も子宝に恵まれ他3人の男子が生まれました
全国を巡行
1900年10月~12月 福岡、佐賀、熊本、山口
1902年5~6月 群馬、新潟、茨城
1903年10月 和歌山香川、愛媛、広島、岡山
この他にも色々なところを巡っております
また、写真を撮られるなどして国民に身近な存在となります
その後も巡行を続け、沖縄県以外は全国を訪問
天皇即位~晩年
1912年 明治天皇崩御
天皇に即位するが、政治能力を不安視される
西園寺公望、山縣有朋⇒政事への苦言
不用意な発言をすれば取り合わなかったり、諫言された
⇒プレッシャーやストレスから再び健康が悪化
その後は病気に臥すことが多くなり、
公務を遂行が厳しく表舞台からは消えることとなります
1921年 裕仁親王が摂政につく
その際、執務に使用する玉璽(印鑑)を渡すことを拒んだとか
そのまま病気が良くなることはなく、1926年に亡くなる
これによって短い大正時代が幕を閉じます
大正天皇のエピソード
①県知事の話を聞いている途中に
「お前も煙草を吸うか?」といって煙草を差し出す
②とある学校の寒中水泳授業を視察中に
「彼らはきっと寒かろう」と言って水泳授業を中止させてしまう
③松茸狩りを行い、あまりにもよく取れるので
「前もって植えたんじゃないの?」と言って関係者を慌てさせる
これらは全て天然で言ってるわけではなく、周りの反応をみて楽しんだとされています
他にも訪問予定のないところに急に訪問したり
一人勝手に抜け出して散歩したり・・・
言えることはより人間らしい天皇だったと思います