当時の中国の歴史的背景
当時の中国は国民党率いる蒋介石と
共和党率いる毛沢東が争っていた
第二次世界大戦中は国共合作により
対日抗戦のため両党は手を組んでいた
元々共産党のほうが勢力は弱かったのですが、抗日戦線は主に国民党に任せることで、共産党は軍の力を温存していたとされます。
その後日本の敗戦により、再び国共内戦状態となる
地理について
中華民国の支配下にある
中華人民共和国では福建省の一部だが、一度も実行支配はできていない
地図を見れば明らかに中国大陸の方が近い
最小で2.1kmしか離れていない
金門島の戦いは大きく分けて2つあります。
金門戦役(古寧頭戦役)・・・1949年
国共内戦に敗れた国民党政府は台湾へ逃げた
台湾島だけではなく、一部大陸領土や、大陸に近い島もまだ統治下にあった
そのうちの一つが金門島です。
中華人民共和国からすれば、台湾奪還の前に自国に近いところから落としておきたい
人民解放軍2万人で金門島上陸作戦を開始
これを見越して中国国民党は地雷などを設置
→中国共産党の人民解放軍は罠に引っかかりやられてしまう
金門島は中華民国が保持、湾海峡の制海権、制空権は中華民国が死守
金門砲戦
中華人民共和国が対岸から砲撃を行う
実質的な戦闘行為は2か月弱
その後1979年まで定期的に砲撃は行われた
※この戦いは対外的なアピールの側面が強い
当時冷戦下で資本主義陣営と社会主義陣営の対立
中華人民共和国が金門島に攻めた場合、アメリカはどう動くか・・・
1955年米華相互防衛条約により金門島もその範囲となっていたんですよね
旧日本軍の活躍
白団(パイダン)
蒋介石の要請で中華民国の軍を秘密裏に支援した旧日本軍将校部隊
軍事顧問団的な側面が強い
1949年~1969年までの間、100名弱の団員が活動した
旧日本軍は大東亜戦争で戦場を戦ってきた精鋭で戦い方を知っている
その歴戦の強者に自軍を強くしてもらいたかった思いがあった
また、国共内戦で崩壊した国民党軍の再建も担った
基本的には歩兵の訓練で、戦術・通信・戦史・反共精神を徹底的に学ばせた
金門島の戦いでの作戦立案にも携わっていた
【蒋介石の訓示】
これまで東洋の国々のなかで、もっとも早く軍事的な進歩を遂げたのが日本であり、努力し、苦労に耐える精神や、勤勉、倹約の生活習慣など、我が国と共通するものがある。そのため、我々は日本人の教官を招くことにしたのだ。
アメリカは国民党軍に旧日本軍人が参加していることを良しと思わなかった
何度も蒋介石に白団の解散を要請した(しかし聞き入れられなかった)
根本博
終戦時には内モンゴルに司令官として駐屯
侵攻するソ連軍と抗戦して在留邦人を守った
復員後の1949年に台湾へ渡り金門戦役に参加
この時期アメリカは国民党政府への軍事支援打ち切りを表明したタイミングでもある
孤立無援となってしまった国民党の蒋介石に協力をする
厦門を捨てて金門島を拠点にすることを提案し、実行される
中華人民共和国軍の輸送船・補給船の焼き討ちをし継戦能力を奪う
そんな根本は白団には加わらなかった
根本自身名前を知られた人物であったので
秘密裏にしておきたい白団の存在とは相反してしまうためである
これら日本人の活躍は台湾では軍事政権下ではあまり明るみとなりませんでした。
国民党の権威を失墜させないためと言われています。
(日本人が助けてくれたから・・・ってのじゃ恰好がつかないですもんね)
現在の金門島
金門島は旧日本軍の活躍や多くの中華民国軍民の犠牲の下、現在は台湾の一部となっている
そんな金門島だが、大陸の方が距離的に圧倒的に近いため、
中華人民共和国への海運路線が開設されている
(厦門との間に毎日12往復の便がある)
それを利用して中国大陸から多くの観光客が訪れている
通貨も人民元が流通している
平和が訪れた金門島も台湾有事の際は真っ先に戦場となってしまいます。
そんな日が来ないことを願うばかりです・・・
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