「財閥解体」GHQによる戦後の日本統治政策

戦後
おが太郎
おが太郎

財閥解体って財閥の人達がまな板にのっけられて
解体されているっていう訳ではない

長まろ
長まろ

マグロの解体みたいなね(笑)

音声はこちら↓↓↓

財閥について

財閥とはある一族(家族)が、経営する巨大な企業集団
ある分野の経営を独占的に支配する

日本の4大財閥
三井・三菱・住友・安田
これに
鮎川・浅野・古河・大倉・中島・野村
を加えたものが、10大財閥

おが太郎
おが太郎

現在でかつての財閥グループと関わりを持たずに
日本で生きるってことは難しくない?

世界に目を向けると有名な財閥は
ロックフェラー・ロスチャイルド・サムスンなど

財閥解体の歴史的背景

4大財閥でみると三井や住友は歴史が古く明治より前から始まっている
明治以降、三菱、安田といった企業が誕生。
第一次世界大戦から第二次世界対戦にかけて、
日本の経済の大きなウエイト占めてきた財閥

終戦時の財閥の比重 払込資本金を基準に算出
4大財閥だけで見ると
・金融  約50%
・海運業 約60%
・重工業 約32%(10大財閥だと、約50%)
化学工業、機械類とか戦争に大きく関わる部分の比重が大きい

第二次世界大戦において、日本は敗戦
GHQによる統治が始まる

当時政府は戦争にかかる資金として財閥に500億円の負債をしていた
そのうち200億円は降伏の前後に支払っている

だが、GHQの介入、そして日本の世論も国民の暮らしが極度に貧しい中
財閥を始め、企業へ国がお金を出費するのを反対し、支払いはなくなった

これにより、財閥は国内投資をしていた多くの資産を失った
海運業にしても戦争で壊滅状態で、三菱財閥を筆頭とする日本郵船は
戦争前と比べると船の数は約1/5になっている

財閥は決して戦争によって大儲けしたわけではなく、大きな被害も出ている

財閥解体の内容

●マッカーサーの五大改革指示
①婦人参政権
②労働組合の組織推奨
③教育の自由主義化
④表現の自由
⑤長いので要約 日本の経済制度を民主主義化して独占的産業支配を是正すること
おが太郎
おが太郎

財閥は封建制の残りなんじゃないのかってアメリカ側に見られた部分があります

長まろ
長まろ

江戸幕府のような支配的な主従関係でなりたっているのでは?

確かに、財閥の一族が強い支配力をもっていた一面もあるが、
1930年代からは財閥企業も分権化が進み、
具体的な取り決めは各経営陣に任されている部分もあった

●アメリカの一番の狙い
また日本が軍国主義化する事なく、アメリカの脅威にならないようにしたい。
そのため国と密接な関係で資金面や産業を独占しているであろう
財閥という存在を排除したかった

1946年から財閥解体が本格的に始まる

【第一指定】
三井、三菱、住友、安田の本社
富士産業(旧中島飛行機)
軍用航空機メーカーで軍需産業色が強かった

5社に解散を命令

おが太郎
おが太郎

三菱財閥は最後まで反対したが、結局は解散します

財閥解体には、第1指定~第5指定等細かく分かれている
10大財閥の財閥家族56名が会社役員から強制排除され、
所有していた株などの有価証券を没収

また、江戸時代や明治からある昔からの財閥だけではなく、
昭和から戦争需要によって台頭してきた新興財閥も対象

例)理研、日産など

特に厳しい処分を受けたのが、三井物産、三菱商事
ここは市場の独占をしていると見なされ、
部長以上の者が集まって会社を設立したり、社員100名以上になることを禁止
⇒そのため、大量の小さな会社に細分化

おが太郎
おが太郎

三井物産は約250、三菱商事は約140社へ細かく分割されました

財閥解体と関連して制定された法がいくつかある

①財閥同族支配力排除法
主に10大財閥の傘下にある企業が対象で、
役員経験者等約3600名が追放された。

②過度経済力集中排除法
経済力の集中を排除するため、大企業を分割していく
分割対象は325社。
途中でアメリカの政策が転換し結局は10数社にとどまった

おが太郎
おが太郎

政策が転換っていうのは冷戦が起こり、中国が毛沢東の基で共産化していったことによることです。これによって共産化を食い止める壁として日本の占領政策を見直すこととなりました。財閥解体を徹底的にやるって方向から緩和されました。
だから財閥解体って最後まで完結せずにあいまいに終わっているんですね。

財閥解体による影響

①GHQは商号や商標の使用を禁じた
三井銀行は帝国銀行、三菱銀行は千代田銀行、住友銀行は大阪銀行
旧財閥をイメージできないように変わる
②安定株主の喪失
それまで財閥一族や本社が保有していた株が分散させられ安定株主を失う
企業経営は不安定になる

財閥関係株が市場に放出されれば、
放出された株は、それまで財閥グループとは関係のない人達による買い占めなど、
戦前では考えられない事態に直面した

これは経営陣にとっては会社がのっとられてしまうという脅威

(対策)
この結果、持合い株が進んでいく

おが太郎
おが太郎

A君がBさんと付き合ってる
BさんはC君と付き合ってる
C君はA君と付き合ってる

ここで問題なのは? C君とA君は両方いけるの?

長まろ
長まろ

ごめん、さっぱりわからない(笑)

互いの秘密を握っている状態だと
他へ株式が流出する危険が低く、安定した株主の確保ができる

このように2つ以上の企業が相互に相手の株を所有することを持合株株式持合いと呼ぶ
終戦からサンフランシスコ講和条約を結ぶまでは、
財閥の同系列内での株式保有が禁止されていた
そのため第三者への保有依頼をして安定株主工作をした

現在の日本企業の特徴として株式を相互に持ち合うという原型が形成された
今は戦後に比べるとその比率は減ってきている

戦後、この持ち合い株をする上で企業間をつないだ重要な役割をしたのもの
⇒主に金融機関と社長会

①金融機関
三井、三菱、住友などは、巨大な銀行がある
この財閥系銀行はGHQによる解体はされなかった

この金融機関を中心に各社とのネットワークができた
さらに銀行が各企業に対して株式を持ち合う資金を供給する、
こうして、民間の銀行が影響力を持ち始める

②社長会
財閥を解体されて巨大組織をつなぎあわせるのに大きな役割を果たしたのが社長会
旧財閥系企業の社長が情報を交換する場
ここで、持ち合い株の買い入れる量、買い戻す量の割合を調整した

1951年の住友系の白水会に始まり

代表的なのだと
・三菱系の金曜会
・古河の三水会

三菱とか住友は財閥のなかでも同じ系列同士での結束力が強い
人の三井、組織の三菱、結束の住友。

財閥解体によるメリット

若手人材の活躍
抜擢による意欲的な企業経営
財閥解体によって財閥1族取締役クラスの重役すべて追放
その残された企業を経営したのは内部からの若い昇進者達
それまで取締役会のメンバーではない部長、支店長、工場長といった役職が一気に
社長になるケースが大多数となった

敗戦時の大企業の平均年齢は60歳に達していたとされる
1946年時点の財閥系企業では社長の平均年齢は40代半ば

東京商工リサーチによる
2021年社長の平均年齢62.7歳 で上昇傾向にある
6割が70代以上の社長

戦前と同じ状況、それ以上に高齢化が進んでいる
この特徴として、長期ビジョンを描きにくく、設備投資や経営改善に消極的になる傾向
戦後の、新しくなった若い経営陣は、積極的に投資をしたり、経営改善を行った

② ストライキなどの労働争議が増加した
新経営陣は現場から昇進したものが多く、
労働者との関係性が今までの旧経営陣よりは強くなった
おが太郎
おが太郎

これが有利に働いて、それにより協力的な労使関係を築くことができたんですね

雇用の安定が進み、勤続年数によって賃金が上昇していったり、
いわゆる終身雇用制が生まれ日本的経営をさらに強めた

おが太郎
おが太郎

まあ、これはいい面だけではないと思うけど・・・

財閥解体政策の転換

①商号の使用禁止が廃止
三井、三菱、住友は銀行名を戻した
安田銀行は富士銀行のままにした(今のみずほ銀行の前身)

おが太郎
おが太郎

今は合併して企業名が色々変わっているけど、
三井、三菱、住友の名前は残っているよね。

②同系列企業間の株式を相互持ち合うことができるようなる
旧財閥傘下の企業が集まってグループを形成が加速

③財閥同族支配力排除法も解かれた
これはサンフランシスコ講話条約の直前に解かれている
戦前の経営陣が復帰できることが可能になったが、多くは復帰しなかった
神戸製鋼やトーレなど一部で復帰も見られた

・旧経営者の老齢化が進んだ
・株式所有の体制が戦前と変わった。
・新経営陣が戦後の危機を乗り越えて、経営能力を身に付けていった

終わりに

●財閥は今でもあるのか問題
財閥の定義は、特定の家族、同族が経営を独占的に支配するという点。
第二次世界大戦の終結と財閥解体によりこれはなくっている
そのため財閥は今は、ない

しかし旧財閥系のグループでの結束力は未だに多く残っている

●財閥、旧財閥の価値
今は、IT企業とか新しい企業が巨大な資本力を持っている時代
そんな中、財閥、旧財閥の価値=ブランド力

これは何百年と作り上げたブランド自体に価値がある
日本のみならず、海外でもその名が知られていて大きな影響力を持つ

長まろ
長まろ

今でも財閥系企業の名前聞けば誰もが知ってるわけだもんね!

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