アメリカの作家マーク・トウェイン
「歴史は繰り返さないが韻を踏む」
中華民国とは現在では台湾を指す一つの呼び名 台湾の通過やパスポートには、中華民国と記載がある
それでは時代を一つ一つ紐解きながら私自身もヒモになれたらと思います!
既に逆玉の輿だろ!
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時代背景~歴史の流れ
中国大陸
1911年 辛亥革命によって清王朝が滅び、中華民国ができる
臨時政府の代表として孫文が就任
しかし清朝時代から軍を掌握していた袁世凱にその座を明け渡す
袁世凱の死後、中国全土はいくつもの軍閥が支配している状況となる
袁世凱からトップの座を奪われた孫文は中国国民党をたちあげ、
孫文死後は蒋介石が中国国民党トップとなり、
反対勢力の中国共産党や軍閥との戦いを優勢に進めた
その後、満州事変が起こり、さらに日中戦争が始まっていく
ここで中国国民党は、対立していた中国共産党と手を組み日本と戦う
台湾島
日中戦争に入る前の台湾は以前の回で話したのでそちらを・・・
皇民化政策
台湾人を日本人化する皇民化政策が採られていた
①日本の統治時代では学校で日本語を教えていたが、
職場や家庭でもすべて日本語を話すよう指導され、台湾語の使用を禁止
そのため日本統治時代を経験した台湾の人は日本語が話せる人が多いです
②台湾服の着用を禁止して和服を着るようにした
③道教など中国の民間信仰を否定
日本の国家神道を信じることを強制し、天皇を崇拝させた
家では神棚を設置したりもした
ただ警察の巡回チェックが昼間にあるので
その時だけ従っているように見せていたようです。
第二次世界大戦では台湾でも徴兵制が実施され、
日本軍として戦場に行った台湾の人は約20万人
そのうち約3万人が亡くなったと言われている
第二次世界大戦後
日本は第二次世界大戦で敗戦
サンフランシスコ平和条約で日本は台湾に対するすべての権利・権限及び請求権を放棄する
しかし台湾はどこに返還するか規定していない
その後、台湾へ上陸していたのは中国国民党軍
国民党軍が台湾入りすると、兵士らの姿があまりに貧相で、まともな靴も履いていない兵もいたそうで、規律ある日本兵を見慣れていた台湾人にとっては衝撃的だったそうです。
・外省人・・・戦後中国大陸から台湾へ渡ってきた人 ・本省人・・・戦前に台湾に渡っていた漢族出身者
本省人は日本統治時代を通して、当時の東アジアで高い教育レベルを受けていたけど、
大陸からきた外省人は、読み書きもできない人も多く、
汚職も頻繁に見られ、日本が残した資産を私物化してしまう
本省人の中でこう言われたそうです
「犬が去って豚がきた」
内戦
「蒋介石率いる国民党」と「毛沢東率いる共産党」による内戦
戦争のために台湾から大陸へ物資を送らなければならなかったり、
中国大陸からの影響で台湾ではインフレになった
色々な不満が本省人に出てくるようになり、
そして外省人との間で大きな衝突が起こる
二・二八事件(1947年)
当時、台湾でタバコは国民党による専売品だった
闇タバコ売りの女性が外省人の取締員に摘発された
商売品の煙草や持っていたお金まで押収
女性はお金の返却を嘆願するが、銃で殴られて血を流し倒れた
群衆が怒って詰め寄ると取締員のひとりが銃を発砲し死傷者が出た
翌日、群衆による大規模な抗議が起こるが
それを取締まる為に憲兵が民衆に銃を発砲し数十人の犠牲が出る
以後、台湾の都市では本省人による抗議が始まり
それを国民党軍が徹底的に鎮圧を行った
二・二八事件の犠牲者は約28,000人とも言われる
もっとも狙われたのは医師、弁護士、マスコミ関係者などといった知識人でした。
理由としては彼らは政府のやり方を批判する傾向にあり、社会的影響力が強いと判断されたためです。後の総裁となる李登輝も蔵の中に匿われ生き延びたそうです。
台湾でこの事件に触れることは近年までタブーでした。
語られるようになるのは1990年の民主化の時代になってからです。
中国共産党の勝利
1949年 毛沢東は中華人民共和国の成立を宣言
敗れた中国国民党は大陸から撤退して台湾へ
100万人もの人が渡ったとされる
この時に国民党は中華民国を名乗る
中国国民党による独裁
中国共産党と対立する国民党は民主主義の政党と思われがちだが実態は違います。
ともにソ連をルーツとしている
・中国共産党は、ソ連の支援によって結成された
・中国国民党も蒋介石や子の蒋経国はソ連を訪れて統治方法を学んでいる
特徴としては国家の上に党がある
一党独裁の政党で、党が政府・軍を指導する体制
【例】
中国には中国人民解放軍がいる
これは中国という国家の軍ではなく中国共産党の軍隊
アメリカには民主党、共和党の二大政党があるが
民主党が直接軍隊を保有することはない
アメリカ軍はあくまでも国の軍隊
大統領が民主党から共和党に変われば軍隊の指揮権はその大統領移る
むしろそれが普通だよね・・・
また、中国共産党や中国国民党にも憲法は存在するが、党の解釈による所が大きい
台湾に渡った国民党は、1949年に戒厳令を敷いている
【戒厳令とは】 戦争や自然災害など緊急事において、 法律の一部の効力を停止し軍隊の指揮下に移行すること
台湾では民衆による集会、デモ、エロチックな音楽も禁止となります。
この時代、何より恐ろしいのが、監視組織が至る所にあって、
共産党のスパイという疑いで不当に逮捕し拷問されたりする
共犯者を言わないと拷問が続き、またそれで身に覚えのない人が
罪を着せられ逮捕、または処刑されたそうです。
ポルポト時代のカンボジアみたいだね・・・
この戒厳令は38年間続く
世界で1番長い期間と言われている
【戒厳令を出した理由】
中国共産党の侵攻を恐れたため
共産党の常套手段は、あらかじめ工作員を送りこんで住人の反乱を誘導する
そのためスパイと思われるものを徹底的に排除する必要があった
結局台湾は中華人民共和国に侵攻されなかった?
もし歴史が韻を踏むなら・・・
中国大陸を支配した共産党は圧倒的に優勢で、
台湾へ侵攻することは十分に考えられる
しかし現代に至るまで侵攻はない
それはなぜ?
アメリカの存在が大きい
1950年に朝鮮戦争が起こり、北朝鮮が韓国に侵攻した
その北朝鮮はソ連、中国の支援を受けた
この時にアメリカは、朝鮮半島が共産主義化する危機を迎える
朝鮮半島がもし共産主義化されれば、それが拡大していくのを防ぐには、
日本、台湾、フィリピンの防衛ラインが大事になってくる
その時にアメリカは改めて台湾の地政学的重要性を認識する
日本とフィリピンの間にある台湾がもし共産主義化すれば、このラインが寸断される
そのため、アメリカは自国の第7艦隊を台湾海峡に派遣させた
これによって中国は台湾に侵攻することができなかった
逆を言えば台湾の国民党軍が中国大陸へ反撃に出ることもできなくなったんですね
これはアメリカが争いの拡大を好まなかったため
その後、アメリカは台湾に軍事協力をしたり親密になる
台湾に渡った国民党は、他にも周辺の澎湖諸島や金門島を統治している
金門島は中国大陸からわずか7キロの距離にあって、たびたび中国に狙わている
1949年には中国軍の侵攻があって、国民党軍が撃退した
その後も中国から砲撃が何度か繰り返されている
これは1968年まで続いている
そのため台湾には2018年まで兵役があり、金門島にも多くの兵が送られていた
中華民国は国連を脱退(1971年)
第二次世界大戦の戦勝国を中心に国際連合が発足
その時は国民党の中華民国が中国の代表として国連の常任理事国となった
しかしその後中国大陸を統治しているのは中国共産党の中華人民共和国
多くの国は、中国の代表は中華人民共和国であると考えるようになる
そこでアルバニア決議が行われ、
賛成多数で中華人民共和国が国連に加盟、中華民国は国連を脱退することになった
この背景には、中華人民共和国が経済的にも発展し、発展途上国に経済的援助をしてきたことや、
アメリカも当時ベトナム戦争に行き詰まっていたため、
北ベトナムを支援していた中国と和解しベトナム戦争からの撤退を模索していた
その後国連に加盟した中華人民共和国と多くの国が国交を結ぶ
日本も田中角栄らが北京にいって日中国交正常化を果たして国交を結ぶ
そして戦後から国交のあった台湾とは国交を停止する。
それが今日まで続く日本と台湾の関係です。
しかし国交は結んでないけど台湾には日本の大使館と同じ機能をもった施設があったり、
企業間での経済交流や観光でお互いの国を行き来する交流は盛んに行われている
台湾の民主化
蒋経国
台湾は自国で結束して経済を発展させて国力を充実させる必要があった
蒋介石の子の蒋経国が独裁体制を少しずつ緩和させていく
それまで台湾政府の要職は外省人ばかりであったが、
有能な人材であれば本省人でも採用していった
大半が本省人であり、日本統治時代に日本の大学で学んだエリートも多くいた
その中には後の総統になる李登輝もいた
この時代、大規模なインフラ建設を行うなど台湾を発展させました。
李登輝
蒋経国の死後、李登輝が総統になる
中華民国初の本省人による総統
そんな彼は台湾の民主化を加速させました!
・総統を決めるのに民衆による直接選挙にした
・認識台湾
中学生を対象にした教科書で、台湾の歴史・地理・社会が対象
それまで台湾の歴史は日本統治時代を教えられることはなく
中国語で中国の歴史や地理が教えられていた
この時から日本の統治時代の近代化に貢献したプラスの側面を教えるようなる
それまでは、完全否定だったんですね。
これによって台湾の人の日本への印象は大分変わったと言われています。
・原住民族を尊重
彼らは日本統治時代は日本式の名をつけられ、
国民党の統治が始まると漢族式の名が強制された
これらを改めて本来の原住民族の名前でもいいとした
陳水扁→馬英九
2000年 野党であった民進党の陳水扁が総統となる
これにより民主化がさらに進んでいく
その後民進党から国民党の馬英九に政権が渡り
彼は中国との交流を積極的に行う政策をとった
これにより台湾経済が成長を遂げた一方で、
台湾の中国依存が高まってきたことに民衆の中で危機感が芽生えてきた
民衆による反対運動が起こって、馬英九の国民党の支持は急低下する
蔡英文
2008年 国民の支持を得て総統になったのが、民進党の蔡英文
彼女は中国が主張する台湾は中国の一部だっていう主張に対し、
台湾は台湾であって、脱中国を目指す方針を打ち立てます。
現在、台湾の台湾人化が確実に進んでいる 【台湾の政治大学による調査】 自分は台湾人であると考えている人は 2008年・・・48.4% 2020年・・・67%
中国の習近平政権の意向で台湾への中国人観光客が減り、
企業間の経済交流が減少している
経済成長率で見ると馬英九政権は10%前後に対し、蔡英文政権の経済成長率は2.3%程度
台湾の孤立化
台湾と外交のある国は現在14カ国しかない
ちなみに日本は195カ国です。
日本のパスポートは世界一強いって言われてるしね。
■国連やWHOなどの機関に加盟できない
中国が「台湾は中国の一部である」と主張しており、台湾の国際機関への加盟を認めない。
また、この中国の主張を支持する国も多い。
この背景には中国経済の好調がある。
中国はアフリカ諸国を始め、多くの国を支援している。
今後の台湾
近年、アメリカ姿勢の変化がみられる
中国を大きな脅威ととらえ、台湾との関係が強くなってきてる
アメリカのバイデン大統領は、記者からの質問で、
台湾防衛のために軍事的に関与する用意があると答えている
世界で次の大戦争があるとすれば、台湾海峡とも言われている。
戦争の歴史は繰り返してほしくないし、韻も踏んでほしくないって思います。