労働時間の歴史~なぜ8時間労働なのか?~

生活
おが太郎
おが太郎

父親が我が子と生涯で一緒に過ごせる時間は約3年4ヶ月と言われています

長まろ
長まろ

そう考えると短いね・・・

1947年に労働基準法が制定、原則1日8時間労働となっている

●労働時間の長さは、何によって決まるのか?
「労働時間の長さはその時の雇用側と労働者側との力の関係により決まる」

●世界ではどうか?
18世紀半ばから19世紀にかけてイギリスで起きた産業革命により、
多くの労働者は1日14時間~18時間という労働をさせられた。

長まろ
長まろ

働きすぎ・・・

おが太郎
おが太郎

そのため健康問題や労働災害が起きてしまい、時間短縮を訴える運動が出てくるんです。

1886年5月1日 アメリカにて8時間労働制を要求する大規模なストライキがあった
8時間は労働、8時間は休息、そして残り8時間は自分たちの自由な時間のために

おが太郎
おが太郎

これが「メーデー(労働者の日)」の起源です

■江戸時代

①職人:伝統的技術を身に付けた職人
労働時間は拘束10時間 実働8時間 休日は月2回

②農民
終日労働 拘束12~16時間
強制労働に近いものがあった。
より年貢を集めさせるために、連帯責任の制度があった。
例えば、村全体の年貢はこれくらいと決めて、
5件の家が協力しあって働き、連帯責任を負わされる(5人組の制度)

夜間作業はそれほどなく、日が沈んだら作業ができない。
機織りなどについては植物油などを燃やして灯りをつけ行った。
ただ、ガス灯や電灯といったものは普及していないので、
作業効率が悪く、結果的に一日中作業することはほとんどない

長まろ
長まろ

文明の進歩が無い方が良かったんじゃないかなと思わされますね

■明治以降
機械化が進み、富国強兵として軍事工場が多くなっていった
工場では実働9~10時間が多かった
紡績業はもっと多く、実働11~12時間ほどあったと言われている

紡績業において
明治38〜43年 結核死亡率が高く、女性労働者の7割は結核で死亡
全国で1年間に9000人結核でなくなっている
おが太郎
おが太郎

日本は労働賃金が低いから、就業時間を長くすることで世界に対抗していたとされます。
技術の発展が必ずしも労働時間を短縮するわけではないんですね。

●1911年(明治44年)工場法成立
工場で働く労働者を保護するのが目的
雇用側の猛烈の反対にあってしまい、実体としては労働者を保護する内容になっていない

おが太郎
おが太郎

力のバランスが圧倒的に雇用側が強く、労働者は弱かったんですね。

1914~1918年 第一次世界大戦が起こる。
ヨーロッパ中心で起こった戦争は、日本軍需品や物資の注文が殺到して好景気となったが、
労働時間はさらに伸びてしまった

●国際労働会議ILO (現在:国際労働機関)
1919年 第一回総会にて議案第一号として8時間労働制をとりあげた 
日本からも参加したが、日本は産業の発展を優先し8時間労働制を取り入れなかった。

●1919年 日本初の8時間労働制の誕生:川崎造船所(現川崎重工業) 
労働者1万5千名がデモに参加した
就業8時間制にして、さらに従来の10時間と同額賃金の支給を約束させた 

おが太郎
おが太郎

これに続く形で全国で労働運動が激化、8時間労働制を実施する工場が増えました。

しかし、実体としては残業があるところがほとんどでした。

●1926年工場法の改正 
適用範囲 15歳未満→16歳未満、女性
保護職工の就業時間を1日11時間(実働10時間)とした

■鉱山労働について
1916年 鉱夫労役扶助規則(工場法の鉱山版)
・最低年齢:12歳
・15歳未満と女子の労働時間を12時間に制限、深夜業を禁止する(交代制は対象外)

1928年 改正
成年男子も含めてすべての坑内労働者は10時間制限1930年〜
女子と15歳未満の坑内労働を禁止(1933年から実施)

おが太郎
おが太郎

この時期に女子の坑内労働を認めているのは世界中で日本とインドのみです

1931年まで炭鉱を除く労働時間は減少傾向であったが、それ以降は上昇傾向となってしまう

■1931年以降は労働時間が上昇する

1938年 国家総動員法
戦争体制へと切り替わったことで、軍需品の需要が高まる
1939年 賃金統制令 
労働者の賃金上昇を規制する狙いがあって、労働力の価格まで抑えられる
労働者の健康、生活よりも軍の要求を第一とする方向へ
☞1日14時間労働が認められた
☞1939年には禁止した女子の坑内労働を復活

●1941年~アメリカとの戦争に入る
勤労は奉仕であり歓喜であるというスローガンのもとに、
憲兵による監視も入り退職も欠勤もできない状態となる
労働前に訓示や敬礼などの訓練が強制された

■戦後
労働組合が増加し、労働者保護を求めデモやストライキが盛んになる
1946年 労働組合員 約370万
1947年 労働組合員 約560万
そのため労働者側の主張が強くなっていった。

おが太郎
おが太郎

冒頭でも述べたように「1947年に労働基準法が制定、原則1日8時間労働となっている」

現在、労働時間は1日8時間、1週間40時間
1週間に1日、または4週間を通じて4日以上の休日
時間外:年720時間以内

おが太郎
おが太郎

近代に入って、基本的には労働時間は上昇傾向にあった。
機械化進み、技術の発展が必ずしも労働時間の短縮にはなっていないことは歴史から見てもわかるが、そもそも労働時間を決めているものは、何か?
「雇用側と労働者の力の関係に影響している」
そこに外的要因もあるかもしれないけど・・・

労働時間の短縮を願っているだけでは、何も変わらない
声に出して行動しなければ、ただ1時間により多くの仕事量をこなさなければいけない
人生で終わるのかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました