「ええじゃないか」神符の降下による幕末の民衆運動

幕末
河鍋暁斎 - 国立国会図書館デジタルコレクション
おが太郎
おが太郎

どうでもええじゃないかルールなんて

「ええじゃないか」とは?

1867年に民衆が集団で歌い、踊りに熱中した大規模な民衆運動
その発した言葉に「ええじゃないか」という言葉が多く使われた

ええじゃないかは、日本江戸時代末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。

伊勢神宮の御札が降るおかげ参りと違い、ええじゃないかの御札は地域で信仰されている社寺の御札が降ったため、現地で祭祀が行われる事が多かった[1]。降札があると、藩に届け出た上で屏風を置く、笹竹で家を飾る、酒や肴を供えるなどして町全体で札を祀った。名古屋の場合、降札後の祭事は7日間に及び、その間は日常生活が麻痺した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%88%E3%81%88%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B

時代背景

1867年は幕府が政権を天皇に返した大政奉還が行われ、
王政復古の大号令によって討幕派による新政府が誕生
約260年続いた江戸幕府が崩壊するという歴史的に大きな転換点

ええじゃないか運動は大政奉還の少し前に各地で起こっている

発生したきっかけ

神符の降下

「神社のお守り、お札などが降ってきた」
このように表現されるが、多くの証言は、「朝起きると庭にお札が置いてあった」
とか「店先にお守りが置いてあった」
これらを空から降ってきたと解釈したと思われる

空を神聖視する考え

おが太郎
おが太郎

本当のところは誰かがわざと置いたという説が有力です

倒幕派の志士が関与していたという説
自ら札を作ったと言う本人の証言や
薩摩藩から大量の運動資金が流れ込んだ資料が確認されている

討幕派のメリットとしては、
彼らは、騒ぎによって活動を幕府側から見つかりにくくし、自由な活動がしやくすなる
実際にこの民衆運動によって幕府の監視機能を数か月マヒさせている

おが太郎
おが太郎

きっかけは、誰かが意図的に行ったものかもしれないが
この運動は日本各地に広まって、膨れ上がりました!

各地への拡がり

伊勢、京都、大阪、名古屋、横浜、江戸

江戸から西側の地方に拡がっており、東北とかでは確認されていない
こんなに広範囲に引き起こした民衆の行動は過去にもあまり例がない

【状況】
神符類の降下があり、祠に祀って、その前で数日歌い踊る
神符の降下があった家は、祝宴をあげ民衆に酒や食事をふるまったり
集団で民家に泥まみれの足のまま座敷へあがりこんで、ええじゃないかと踊る
おが太郎
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これは、信仰心での行動もあるかもしれないけど、多くは集団の脅威によるもの。
自己防衛のために行ったのではともされています。

参加者は顔に墨を塗ったり、仮装したり
男が女になり女が男になったり、
これは単なる仮装ではなく、性別差別の解放要求という見方

集団で踊りながら、ええじゃないかと言う言葉をよく発した

おが太郎
おが太郎

この言葉なんだけど、投げやりな意味にも聞こえますね

政治の事などどうでもええじゃないか
幕府でも朝廷でもどちらでもええじゃないか

ええじゃないか運動が広まったきっかけ

①当時民衆が置かれた状況

江戸幕府が崩壊するという歴史的に大きな年だった

・開国による外国からの輸入品により国内の物価相場変動
・ええじゃないかの前年は米などが不作で飢餓に苦しむ民衆
百姓一揆、打ちこわし 江戸時代の中でも最も盛んに行われた年

1867年 晴天が続き米は豊作の見通し

おが太郎
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彼らの願いは、ただ自分たちの生活が豊かになること
そういった想いが強くあったようです。

②昔からある習慣、信仰心

日本では古くから歌や踊りが行われてきた

日本書紀には
イザナミとイザナギが大八洲の島々を産み、次いで神々を産むが、
イザナミは火神を産んだためになくなる
その神の魂を祭るのに歌い舞いて祭る

おかげ参りとの関係性
伊勢神宮に群衆が大勢参拝するということが起こっている
伊勢神宮は天皇家の祖先の神を祀る神社として最高の地位と特権が与えられている

おが太郎
おが太郎

特にそのお参りの経済効果はすごかったです。
大勢の人が動くことで街道沿いの物資はなくなって物価が値上がりしたようです。

特にわらじの値段は3倍にもなったとか。

ええじゃないかの注目すべきところ

①伊勢神宮との関連性はなし

今までのおかげ参りのように大勢が伊勢神宮を参拝をすることはなかった
なぜなら降ってきたとされるお札などは地域で信仰している神社のものが多かった
そのため地域ごとで歌や踊りで祝う

②一揆や打ちこわしのように、あからさまな攻撃的な民衆運動ではない

年貢を減らせ、免除しろなどのように目的が明確ではない

ええじゃないか運動の前年は百姓一揆打ちや打ちこわしが最も多かったと言われる
しかし状況は何も変化しなかった
民衆はアプローチを変えて、変装したりして歌や踊りという行動を起こしている

おが太郎
おが太郎

コスプレの起源とも言われています!
戦後、SFやマンガ、アニメの影響でコスプレっ流行りだしたけど、
実は、日本人は江戸時代の頃からも民衆が変装して楽しんでいたんですね。

③無銭飲食

おかげ参りの時もお金のない人は無一文で伊勢神宮までお参りしにいく
その道中で宿や食事を提供をしてくれた
藩もサポートしたり、裕福な家も提供してくれたりはあったが、
それは、ええじゃないかでも同様に行われた

おが太郎
おが太郎

半ば集団の圧力もあったかもしれないけど、
こういう地域間での助けあい?交流は今よりも濃い時代だったんだと思います。

明治以降になり、宿の提供や食事を振る舞う習慣はなくなっていった

おが太郎
おが太郎

今なんて、絶対ないよね
すぐ捕まる。

長まろ
長まろ

確かに集団で自分の家押しかけられてええじゃないかって踊られたら、恐怖と怒りでしかないね。

おが太郎
おが太郎

最後に、

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