足尾銅山鉱毒事件と言えば、田中正造が有名です。
近代における公害問題として一番有名な事件ではないでしょうか。
足尾銅山とは
栃木県日光市にある銅山(今は閉山)
1600年ごろから江戸幕府の直轄で銅の採掘がはじまる
この銅は寛永通宝(銅銭)にも使われた
しかし、明治初期にはすでに銅の産出はなくなっていた
足尾鉱山鉱毒事件の原因
1877年 明治政府⇒古川市兵衛に払い下げ
★古川財閥は近代西洋の技術を用いて鉱山開発を行い、 新たな銅鉱脈を発見する
1885年 大鉱脈が発見され、そこから本格的に銅の採取が始まる
⇒それとともにカドミウム化合物による公害が発生する
具体的には銅を精錬する際の有害ガス、排水による周辺環境汚染
・渡良瀬川流域への水質土壌汚染
川の流れに乗って千葉方面まで汚染されたそうです
・人体への影響、作物への影響、森林への影響
・土砂災害や洪水の二次災害
何で江戸時代とかでは起きなかったの?
①西洋近代技術を取り入れたこと
⇒西洋の技術は基本的に植民地に対しての完全生産量だけを見た技術
周りへの影響などは考えていなかった
しかし日本は自国の土地で自国民が発掘
②古川財閥と政府高官(陸奥宗光)との癒着
陸奥宗光の次男は古川市兵衛の養子になる
実際に鉱毒問題が起きても陸奥宗光が握りつぶしていたと言われている
銅の採掘を武器に不平等条約の撤廃に努めたなんて話もありますよね
被害が出ているのにひどいね・・・このまま政府は見て見ぬフリ?
ここで近隣住民の訴えに耳を傾けた人物を紹介します。
松本 英子(ジャーナリスト)
若い女性の新聞記者だったが、渡良瀬川では大量の魚が死に、
流域の農地では作物が立ち枯れ、疑問を思って調べていったところ、
足尾銅山が原因であることを突き止める
世論を動かすために記事を書くが国家権力に握りつぶされてしまう
⇒警察の取り調べもされることになる
当時の男尊女卑社会において、女性で警察の取り調べを受けるなんてことは結構「恥」なことなんですよね。
邪魔だから社会的にコロしにいった・・・側面が強いように感じます。
ちなみに彼女はそれでもめげずに、第一次世界大戦では反戦の記事を書いたりしていたそうです。
強い女性だね!
田中 正造(国会議員)
栃木県佐野市出身
1890年に渡良瀬川での大洪水があり、足尾銅山から流れた鉱毒で稲が枯れてしまった
⇒このことをきっかけに運動を開始する
1897年に農商務省との間で鉱毒予防工事、脱硫装置などを確約
しかし効果は薄かったみたいです。多分やっつけ仕事だったから・・・?
1900年 農民が東京へ陳情に出かけようとしたところで警官隊と衝突(川俣事件)
流血事件となり農民多数が逮捕された
田中正造が国会で演説「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」
当時の総理大臣山縣有朋は「質問のいみがわからない」と答弁の拒否
⇒川俣事件の裁判中にあくびをしたことで侮辱罪に問われることになる
⇒禁固40日、のちに議員辞職する
1902年 帝国議会から還幸中(帰り)の明治天皇に直訴
当時天皇への直訴は死刑です。
死刑を覚悟で直訴を行ったが、取り押さえられて直訴そのものには失敗
直訴したことが号外で配られ直訴内容共に世に知れ渡ることになる
田中正造は即日釈放された
「狂人が馬車前をよろめいただけ」なので不問にされたそうです
その後
結果的に鉱毒事件が明るみになり、政府は対策を講じることとなる
しかし、鉱毒は消滅することもなく問題だけが沈静化されていく
1972年 政府が古河工業株式会社の加害責任を認める
1973年 銅が掘りつくされ閉山
1989年 足尾線貨物列車が廃止によって精錬所も閉鎖
2011年 地震で渡良瀬川下流域から基準値を超える鉛が検出
土砂に含まれていたのかは定かではないですが。
足尾鉱毒事件は現在でも影響が残っている公害事件とも言えますね。
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