「混浴の歴史」近代日本で禁止されていったのはなぜか? 

生活
おが太郎
おが太郎

私ははっきりという羞恥心はひとつの悪習であると。日本人はそれを持っていなかった。
私たちはそれを彼らに与えるのだ。

混浴の評論家としてお話します(嘘)

長まろ
長まろ

お、いいね!久々に楽しそうな話題!

音声はこちら↓↓↓

おが太郎
おが太郎

ちなみに混浴ってどう思う?

長まろ
長まろ

いや、どうって・・・小さい頃は女風呂とか関係なく入れてたけど、今それ出来ないから残念だね・・・てくらい(笑)

おが太郎
おが太郎

今日は皆さんの持っている当たり前の価値観に揺さぶりをかけたいと思います

それでは湯気の向こう側を覗いてみましょう

混浴の起源

日本人は昔から温泉が好きだった
文献として最も古いのは奈良時代にまとめられた『風土記』にも記載がある
そこには温泉を楽しむ様子が描かれている
その時は自然にわき出した温泉を貯めただけの露天風呂であり
誰もが自由に入ることができた

【平安時代】

京都ではすでに銭湯があった

おが太郎
おが太郎

そこである区分けがされるようになった
それは何でしょう?

答え:身分による区分け

当時、大量の湯を沸かすには大きな鉄鍋が必要
しかし、鉄は貴重品であった
貴族でも自宅に浴室を持てるのはごく1部だった
多くの貴族や庶民は銭湯を利用していた

ところが貴族にとっては一般庶民は穢れた存在だと思っていたため、
一緒に入ることはしなかった
貴族が入浴するときは、同じ貴族どうしで銭湯を貸し切って入浴した

【江戸時代】

江戸時代になってからも、武士が多く訪れる温泉地では、身分によって区分けするところも一部あった

おが太郎
おが太郎

例えば1の湯は武士、僧侶だけみたいな感じです

■あるエピソード
武家の中でも身分の高い家老の娘が入浴をしていた。
するとお供していた男性が興味本位で覗いてしまったという事件があった
彼はすぐに捕えられた
おが太郎
おが太郎

ここで重要なのは彼が捕らえられたのは、
女性の裸を見たからダメなんじゃない。
身分が下の者が覗いたからダメだということで、捕らえられたとこです。

長まろ
長まろ

娘の裸を見たことで捕らえられたことは変わらないけど、意味は大きく違うね!

こういった身分による区分けは残りつつも、江戸時代はさらに様々な分け方がされた

●例①

宿泊客は、入浴の仕方によって本幕、合幕、並幕に区分けされた

・本幕は一定時間を1人に貸しきるもの
・合幕は数人で貸し切るもの
・並幕は宿泊客だけが入浴できて、一般の人々は入れない

●例②

皮膚病の人が入るもの

おが太郎
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江戸時代には、誰でも入れる混浴が一部、崩れていきました。
しかしそこには男女分けると言う発想はなかった。
多くは依然として、男女関係なく大人も子供も一緒になって楽しむものであったようです。

江戸時代の風呂の様子

江戸時代初めの銭湯はたっぷりの湯につかるものではなく、
浴室に蒸気を満たして汗を出すスタイル

長まろ
長まろ

ミストサウナのようなものだね!

石榴口と呼ばれるものがあった
洗い場から浴槽へいくとこに板で仕切っていて、下が少し空いている
入浴する人は体をかがめて出入りする
これはお湯が冷めるのを防いで、暖かい蒸気が外に逃げないようにしていた

おが太郎
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そのため浴室は今みたいに明るい空間でなくて薄暗く、蒸気がモクモクしている状態です

当時はミストサウナを風呂屋、湯につかるのが湯屋と区別していた
おが太郎
おが太郎

ちなみに、お湯の温度は50度くらいが多かったそうです。

長まろ
長まろ

それってかなり熱いよね・・・

湯女

江戸時代初期の都市部に湯女(ゆな)と呼ばれる女性たちが
男性客を対象に脚のアカスリをしたり、髪を洗ったりした
夕方になると着物に着替え、風呂の上り場で三味線を弾き歌って男たちを楽しませる

おが太郎
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別料金で風呂屋に設けられた別室で男女の関係になるものもいたようです

湯女のいるお風呂屋は「湯女風呂」という

おが太郎
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この湯女を描いた作品で有名なのがジブリの「千と千尋と神隠し」って言われてます!

まさに千尋がそれですね。

幕府公認の遊郭はあるが、夜間の営業は禁止
また遊び代も庶民からすれば高かった
そのため湯女風呂は気軽に安く遊べる場所だった

幕府は1645年に風紀の乱れもあり、
風呂屋が女を雇うこと、客を宿泊させることを禁止した

風呂でのお見合い

銭湯や温泉でお見合いすることもあった
これは明治になっても行われていた

おが太郎
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例えば京都伏見にあった銭湯は1階に浴槽があり、
2階はたくさんの小さな部屋が分かれている。
そこには、寝具も用意してあり、男女が楽しめる空間にしていた。

混浴禁止の流れ

1791年 老中松平定信による寛政の改革の一つとして
男女入込場停止のお触れが出された

おが太郎
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入込って言葉ですが、そもそも江戸時代には混浴と言う言葉は使われておらず
混浴の銭湯は男女入込み湯と呼ばれていた。

この時に日本の歴史で始めて「混浴禁止」命令が出された

なぜお触れを出したか?

松平定信は熱心な儒教信者
この儒教では社会の秩序を重んじる
男女の関係では男が主人であり女はそれに従うのが秩序である

おが太郎
おが太郎

混浴は男女が一緒に入っている、それがエロいからではない。
男と女が同等でないという考えから、
同じ湯船で男女が同じように利用していることが問題なんだ!ということです。

銭湯業者は困る

当時江戸の銭湯は脱衣所も1つしかないのが大半
日替わりで男女分けるのは簡単だが、それでは毎日の売り上げが半減してしまう
それでも分けるように試みたところもあった

他にもこのお触れの後、女湯が11軒ほどできたが、
数が少なすぎで混んでしまい不便で女性が自ら男湯に入るなど、
お触れの効果はほとんどなかったと言われる

おが太郎
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江戸時代には3日法度と言う言葉があって、
規則などが守られるのはせいぜい3日位だったそうです

その証拠にその後も混浴禁止令は出ている

1841年 水野忠邦による天保の改革でも、入れ込み湯の禁止のお触れが出された
禁止令の中に「浴槽を分けるよう」命令が出されている

おが太郎
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しかし、風呂屋は困りますよね。
改築にはお金がかかるし、時間もかかるので、
浴槽の上部に仕切り板をつけたり、洗い場にも簡単な仕切りをつけた程度でした。

でもこれも結局ほぼほぼ守られなかったそうです。

ちなみに温泉の混浴は規制の対象にはなっていない

幕末~明治にかけて

日本は開国をし、外国人が日本へやってくることが次第に増えてくる

当時の銭湯は外から丸見えのところも多く、
浴室の中で男女が裸で入るのは当然だった
そのままフンドシ一枚や服をはだけて露出させたまま家に帰る人も多かった
それをみた海外の人は驚く

「ここで行われている嫌悪すべき不道徳な習慣からは目をそらすことはできない」

ペリー艦隊の士官が、下田で見た混浴について

「そこはこの国の中でも特に奇妙な施設である公衆浴場だった
窓から中を覗くと私の神経は恐ろしい衝撃を受けた。

多様な年齢の男性、女性、子供が一緒に混ざり合って入浴している

彼女たちは肉体の下品なる露出という不道徳にまったくもって無関心でいる

私の遠征の中でかつてこれほど醜い光景はみたことはない

1858年 日米修好通商条約を締結するため訪れたジョンストン副艦長の言葉

欧米人が日本の混浴を見るときに、大きく分けて2種類ある

①批判的

西欧諸国はキリスト教が広く浸透していた
このキリスト教ではアダムとイブが禁断とされた知恵の実を食べたため
自分の裸を恥じるようになったというのがあり、
裸体を人前にさらすことは恥ずべきことという考えがある

特に一般の女性が人前で裸になる事は考えられない時代
ヨーロッパではコルセットで体を締め付けて、足首まで隠れる長いドレスを着ていた

お風呂に入る習慣自体があまりなかったこともある
入浴は体力を低下させるという考えがあった
布で身体を拭く程度で体を洗っていた

②好意的

明治時代に入り、海外の人にとって銭湯や温泉その中でも混浴が興味の対象となった

おが太郎
おが太郎

当時日本と言えば、
フジヤマゲイシャ混浴と言われたくらい関心があった

ただその関心は性的関心の対象でもあった
混浴での女性の裸は海外の人によって見世物となった
熱い眼差しが向けられることで、見られる側は自分の裸を強く意識する

おが太郎
おが太郎

今までそんな意識さえなかったのに。。。
それが繰り返されると自分の裸を隠そうとするんですね。

こういった変化が起きたのも事実。

混浴禁止

明治政府は1868年に江戸の築地にある外国人居留地内の銭湯で混浴を禁止した

この禁止令の中に
「男女入込は兼ねて制禁之所、外国人に対して御失礼に付、厳禁たるべく候」
混浴は前から禁止であって、外国人に対して失礼にあたるので禁止
おが太郎
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これは、今までの幕府にはなかった視線で、
海外の人からの批判に対処するための禁止令です

1879年 湯屋取締規則
東京で混浴を禁止することの規則が出された
その後、各地方でも混浴禁止の流れが広まっていく
ただこれも江戸時代の時のようになかなか浸透しない
その後も何度か政府が取り締まりを強化し、

1900年 12歳以上の男女混浴を禁止
この時はじめて年齢を明確化した

明治の終わりになると東京だけでなく、全国で混浴の銭湯はなくなっていった

おが太郎
おが太郎

ちなみに混浴の規制は温泉は対象ではなかった
だから今でも混浴の温泉が残っているのはそういう理由です!

やったね!

1885年 銭湯で石榴口の設置が廃止
石榴口の仕切りがあることで蒸気が充満し薄暗く不衛生のため廃止
そのためお風呂室の温度が下がった

おが太郎
おが太郎

タオルを頭に乗っけるのは頭が冷えてしまうかららしいですね。
湯にタオルを付けないことが理由ではなかったようです。

現在に至るまで混浴の規制は強まってきている
例えば新たに混浴の温泉を作るのは許可が降りない
混浴の年齢制限を7歳以上に下げるなど規制を強めている

まとめ

現在の日本では混浴という行為が、不道徳で恥ずかしいことになっている

そもそも日本には、そういう価値観はなかった
それが、中国から儒教が伝わり、日本が開国して西欧の思想が入ってきた結果
男女の裸=性的な対象となっていた

幕末に訪れた海外の人と当時の日本人との会話が記録されている
ある日本人は、
「私は風呂で裸のご婦人に気付いたとしても目をそらすことはしません。
そうすることに何か悪いことでもあるのですか 」

この言葉からも日本人は異性の裸に対して性的対象としてみていない

それが海外からの価値基準で規制されていった
そして、今の日本人にとっても異質なものとなっている

おが太郎
おが太郎

日本は、千年、二千年も他国から支配されることなく、独自の歴史をもっていた
その中で古くからあたりまえのようにあった混浴は、
本来日本人が最も守らなければいけないものだったのではないでしょうか?

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