■日本国憲法
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
現代では身分による差別というものはありません。
しかし昔はありました。
明治時代では四民平等と言いつつも華族制度や士族の存在がありました。
(天皇も今とは全く違う存在でした)
江戸時代では明確に身分差を設けていたと言われます。
「士農工商」「えたひにん」です。
穢多(えた)
穢(けがれ)が多(おおい)と書いて「穢多(えた)」
牛馬の死体処理を行いその皮を使って革製品を作っていた人たち
土木工事、町の清掃、廃棄物処理などもやっていた
つまり身分というよりは職業を指している
はじめてえたが登場したのは鎌倉時代の『天狗草子』といわれる
えた童子→「肉を扱う人が天狗を捕らえねじり殺した」と記述あり
室町時代頃から穢多は差別対象となった
しかし差別自体はゆるやかなものであった
戦国時代ではむしろ穢多は重宝された
戦国時代は戦乱の世の中です。そのため皮製品は馬具などの戦道具に使用されていたためむしろ待遇は良かったとも言われます。
江戸時代になって明確に穢多という身分が固定化された
皮なめしや死体処理はかなりの臭いが発生したため
一般的な街には住めず、川沿いなどの人里離れたところに住むようになった
つまり住んでいるところで「あの人は穢多だ」ってのがわかっちゃうんですね。
非人(ひにん)
非人は仏教の言葉に由来している
『法華経』『提婆品(だいばぼん)』に記載はあるが、元々差別的な意味ではない
非人は主に罪人の処刑や死体処理を行っていた
→他の人があまりやりたがらないこと
病人や障碍者の世話、芸能に従事していた人もいた
そのため芸能活動の一端を担っていた側面もある
非人には身分の流動性もあった
例えば農民が犯罪者となったら非人とされてしまう
また、善行を積めば元の身分に戻ることもできた
ただし非人全員に身分を変えるチャンスがあったわけではない
非人も同じ場所に住んで同じことをやってるから実質的に世襲となっていく
地域によっては穢多と非人に区別がなかったところもある
実際に明確に分けられていたところもあるが、そうでないところもあった
なぜ差別されたか
「非人」は犯罪者だったりするので、現代の感覚でも差別されてしまうのは何となく理解はできますよね。でも「穢多」は職業なのになぜ?
それは日本人が古来から「穢れ(けがれ)」を忌み嫌う傾向があったためと言われます。
穢れとは
日本の禁忌についての観念の一つ。不浄の忌(いみ)。出産・葬送に関するものが主で,失火,婦人の月事,家畜の死,病気などが含まれる穢れ(けがれ)とは? 意味や使い方 - コトバンク百科事典マイペディア - 穢れの用語解説 - 日本の禁忌についての観念の一つ。不浄の忌(いみ)。出産・葬送に関するものが主で,失火,婦人の月事,家畜の死,病気などが含まれ,宮廷では朝参が禁じられ,狩猟者・炭焼などは山に入ることを忌む。祭事に携わることも禁じられ,払うには禊(...
人や動物の死は穢れ、その死に携わると穢れるとされた
死体や血が怖いのは「穢れ」から来るもの
宮中へ参内するのも穢れたらできなくなった
神道では穢れを落とす行為が儀式として重要視されている
仏教においても殺生を嫌う傾向が強い
☞死を遠ざけたいものとする
ちなみに神社とかにある手水(ちょうず)は
手や口を洗うことで外界での穢れを払う意味があります。
これら穢れの概念が死体と共にいる穢多を特別視し、差別するようになった
江戸時代に入ると支配体制を強化するため身分差別も強化された
えたひにんは農民一揆などの際に藩主側から鎮圧を手伝わされた
そのため憎しみの矛先にもなってしまった
実は穢多は皮革の製造加工の権利を独占していたためお金があったと言われます。
イメージはその逆だったね。
穢多の頭領を置き幕府は支配を間接的に行っていました。
そのためその頭領はかなりの額を荒稼ぎしていたのだとか・・・
場合によっては10万石大名並みの財力があったとも言われます。
その財力を武器に武士や商人に金貸し業を行っていたりしたそうです。
身分制度の撤廃
1871年にいわゆる解放令が出され、身分制度がなくなる
しかし身分としての穢多・非人はなくなったが、差別は続くことになった
また、それまで独占できていた皮革製品の生業は大手企業の登場などでドンドン取られてしまった
そのため穢多・非人は貧しくなってしまう
(しかも差別のため他の職業に就くこともままならない・・・)
「差別で飯を食うやつは差別がなくなると困る」
どこかで聞いたこの言葉を思い浮かべてしまいました。
差別をなくそうというキレイごとだけでは救えないケースもあるのだなと思いました。