ロシアへ漂流した「大黒屋光太夫」

人物
長まろ
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「女はこわいぞ。女に手を出せば、故国へ帰ることはできなくなる」

漂流者としての経緯

大黒屋光太夫は三重県鈴鹿市の船頭をしていた
1783年 光太夫は商売のために江戸に向かって出航
(江戸時代中期=天明の大飢饉、寛政の改革のころ)

しかし、駿河沖で嵐に巻き込まれて太平洋を漂流することとなる
7か月もの漂流の末、彼らが辿り着いたのは当時ロシアのアリューシャン列島、アムチトカ島へ漂流

極寒の気候であり、結局はサバイバル生活に変わりはなかった
食べ物を探すのも大変だし、暖を取るのにも苦労する

そんな彼らをロシアの毛皮交易業者や先住民が助けてくれた
☞食料や衣服を提供してくれた

その後ロシア本土へ移送されることとなる
(毛皮交易業者の報告を受けたロシア本国が漂流者に興味を示したため)
→カムチャッカ半島のペトロパブロフスクへ
→ヤクーツクを経由し
→1789年イルクーツクへ移動

長まろ
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余談ですがカムチャッカ半島でレセップスの叔父に会ってるんですね。レセップスの叔父の日記に光太夫たちの記録があります。
※レセップスはスエズ運河作った人

ロシアの気候は厳しかったが、「日本に帰りたい」一心で必死に生き、現地に溶け込むためロシア言語や文化を習得していくことになった

日本への帰還

イルクーツクでロシア役人面会し、日本への帰還をお願いする
しかしロシアからすればどこの国から来たのかもわからない
外交関係もないので帰国手続きも難しい
ロシア側としては貴重な日本の情報源でもあったので、
ロシアでの仕官を勧める返事しかもらえなかった

長まろ
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かつて日本の漂着民が帰国が叶わずにロシアで骨を埋める例もあったそうです。
彼らは現地女性と結婚し、家庭を築きロシアで生涯を終えていきます。
☞ロシアにおける日本語教育に利用された側面が強いようです

そんな中でキリル・ラクスマンに出会う
→ラクスマンは日本へ大変な関心があったため、光太夫たちにも興味を示した

ラクスマンは鉄道を手配して皇帝に謁見できるようにしてくれた
光太夫たちはイルクーツクから西に向かって当時のロシア首都であるサンクトペテルブルクへ
そこで時の皇帝エカチェリーナ2世と謁見することになる

長まろ
長まろ

単なる漂流者が欧州の強国皇帝に出会うことは異例中の異例です。

エカチェリーナ2世は光太夫たちを好意的に思ってくれたようです。
日本は当時のロシアからしたら謎に包まれた国であり、

知識欲が旺盛なエカチェリーナ2世は外国の文化や情報に強い関心があったようです。

そこでロシア高官たちと帰国へ向けた交渉のテーブルが用意された
ロシア側は日本との通商を目的としており
光太夫たちから日本の情報を聴取した

しかし問題はまだある・・・
ロシアと日本は陸地でつながっていないから船で行くしかない
日本は鎖国政策を取っているため外国船が容易には近づけない

アダム・ラクスマンをロシア最初の遣日使節として派遣することになった

長まろ
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アダム・ラクスマンはキリル・ラクスマンの息子です。

1792年 彼らは根室に上陸する
当初漂流した17人のうち根室に上陸したのは3人(光太夫、磯吉、小市)のみ
12名は漂流中およびロシア国内で亡くなっている
2名はイルクーツクでロシア正教に改宗してロシアへ残った

日本としても漂流者を受け入れるのは慎重な姿勢
漂流者ではなく外国船で帰国してきたため政治的にも微妙な立ち位置
根室に到達はしたけど、そこで長い間足止めを食らってしまう
不幸にもこの間に小市は壊血病で亡くなってしまう

帰国後

大黒屋光太夫は異国の大地で見分を広めた男として
ロシアの地理、政治、文化、軍事について貴重な情報を持っていた
幕府に呼び出されその見聞を報告した
その後の日本が世界と向き合うための重要な情報をもたらしたとされる

日本に戻ってからの生活は幕府から一定の支援は受けていたが
ロシアでの経験を活かすことができなかったとも言われている
晩年は江戸で過ごし、1828年に77歳でこの世を去る

★『北槎聞略
光太夫から聞き取りした内容を記した書であり、日本のロシア学の発端の書とも言われるもの。
中には明らかに誤っている記述もあるが、それは光太夫らが語ったままに記載しておき、注釈で訂正するスタイルをとっている。
「外国のことはわかりにくいことが多いので、漂流民の述べたことは誤りも多いであろう。でも正誤にかかわらず今は聞いたままのことを記録する。内容の訂正は後の研究を待ちたい」
長まろ
長まろ

日本に帰りたいという想いの強さが帰国に結びついたと思います。
過酷な環境に自分の生を諦めずにロシアのことを学ぶ姿勢を持ち続けたことで、
それが結果としてロシア人とコミュニケーションを取れるようになり日本帰国を実現させられたのではないかなと感じました。

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