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かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂
(こうすればこうなることは初めからわかっていたが、やむにやまれぬ日本男児の愛国心に突き動かされてやった)
音声はこちら↓↓↓
Part1 「吉田松陰 “生誕~黒船密航”」幕末を駆け抜けた明治維新の革命者
Part2 「松下村塾」やります
Part3 「吉田松陰」安政の大獄による死
吉田松陰とは
明治維新という革命のさきがけ
明治維新を語る上で欠かせない人物を1人出すとしたら
それは吉田松陰と答える人は少なくないだろう
明治維新の革命は吉田松陰から生まれたと蒋介石も語っている
時代背景
1830年(文政13年)に杉家に生まれる
1837年 大塩平八郎の乱
大飢饉の中、幕府の圧政に苦しむ人達を救済するために
町奉行所の大塩平八郎が先導で起こした幕府に対する反乱
1840~42年 アヘン戦争 清対イギリス
頻繁に開港要求を求めて外国船が来航していた時代
ペリーが来た時は松陰24歳、その後日米和親条約さらに日米修好通商条約を結ぶ
天皇の許可を得ずに結んだことで、幕府への批判が高まり、尊王攘夷運動をさらに高めていく。
1858年 アメリカのハリスがきて日米修好通商条約を結ぶ(不平等条約)
⇒天皇の許しを得ることなく独断で行ったことに幕府批判が高まった
1858年~1859年 安政の大獄
大老の井伊直弼が幕府を批判している人物たちを
捕らえて、処刑していった。
その中に吉田松陰も含まれる。
松陰のポジション
単純な攘夷論者ではない
欧米との圧倒的な力の差を知っていたので
開国をして海外の情報を積極的に取り入れて
日本を強く発展させていかなければいけないと思っていた
幕府に対しても当初立て直しを求めていた
しかし幕府の態度は変わらず、あいまいな外交政策に失望し倒幕論者となる
生い立ち~藩の外へ
1830年に杉家に生まれる 幼名:虎太郎
武士階級とはいえ下級武士で半農状態
そのため農民の苦しさを知っていた
藩の兵学師範になるように育てられた
5歳の時に叔父で山鹿流兵学師範 吉田大助の養子になる
6歳で叔父吉田大助が死亡のため家督をつぐ(吉田家当主となった)
松蔭は父や叔父の玉木文之進に教育してもらった
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覚えが悪かったら庭に引きずりだしたりされてたらしいです。
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スパルタ教育だね
9歳で藩校の明倫館で教授見習いとして教えていた
11歳で藩主の毛利敬親の前で武教全書を講義
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学問への追及がすごくて、
着物の懐に5.6冊の本を入れていたらしい。
着物が着崩れして背中の縫い目が真ん中にあることはなかったとか・・・
21歳で初めて藩を出て旅が始まる
心はもと活きたり、活きたるものには必ず機あり、機なるものは触に従ひて発し、感に遇ひて動く発動の機は周遊の益なり
訳:心はもともと生き生きしたもので、必ず動き出すきっかけがある。そのきっかけは何かに触発されて生まれ、感動することによって動き始める。旅はそのきっかけを与えてくれる。
脱藩して東北へ
友人と約束して東北へ学ぶために旅に出掛ける
通行証の発行を待たずに東北遊学の旅に出かけて脱藩、亡命の罪となる
武士としての身分はく奪され浪人となる
実の父である杉百合之助による、「はぐくみ」・・・監視という処罰
杉家のもとで藩に仕えることとなる
故郷の松本村に隠れ住む
※そこから松蔭・・・蔭(かげ、こかげ)
松本村の村陰にある家でひっそりと謹慎している
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でも温情で藩主は10年間の遊学を許したんだよね
海外への渇望
開国論を藩に提案するわりに、自分は海外をこの目でみたこともない
海外に行くのも死罪、帰ってくるのも死罪
それだと目的が達成できない
ジョン万次郎の例 仲間の漁師たちと共にジョン万次郎は漂流し、アメリカの捕鯨船に救助されそのまま渡米。 アメリカで暮らしたのち、日本に帰国する。 幕府はアメリカの知識、語学を必要とし、ジョン万次郎は幕府の直参になった
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漂流民のフリすればいいって考えるんですね
長崎でロシアのプチャーチンの軍艦が開港要求のため来ていた
漂流民を装って海外へ行こうとしたが一足遅く出会うことはなかった
その後、条約締結のため下田にきていた黒船に潜入し海外渡航を試みる
1854年(嘉永7年)3月27日夜・・・下田踏海事件(吉田松陰25歳)
小さな小舟で弟子の1人と一緒に夜、黒船に乗りつける
アメリカで学問を学びたいことを必死に伝える
通訳が表れ、日本とアメリカが自由に行き来できる日がいつか来る、
その時まで待ってくれと言って返されたボートで返された
しかし、行きに乗っていた小船が流されてしまって、
その中に佐久間象山の手紙あり、象山の無実を晴らす為自首することにした
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捕らえられるんですが、ペリーからの助命嘆願もあり、蟄居(自宅で謹慎)となりました。
しかし長州藩は重く受け止め、野山獄へ1年2ヶ月入れることにしました。
松下村塾
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詳しくは音声を聞いてください!Part2
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我々が松下村塾を体験しています(ほとんど松陰のしゃべりになったけど(笑))
安政の大獄
安政の大獄・・・幕府に対して反対する者たちを弾圧した事件
対象者は100名以上
尊王攘夷の活動で目立っていた梅田雲浜が最初にとらえられる
松下村塾でも討幕派運動が強くなっていった
老中 間部詮勝を殺す計画を門下生ら17名と立てる
長州に大砲の貸し出しを申請するが却下
江戸にいた高杉、久坂にも加わるよう手紙を出したが今はまだ時期が早いと断られた
変革に最も邪魔なのは消極性
松陰の過激ぶりに門下生との意見の食い違いが表れた
危険視した長州藩が松下村塾を閉鎖させた
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松陰はこの後事情聴取のため江戸送りとなります
江戸での尋問 ①梅田雲浜が吉田松陰と会った話をしたため、何を密談して企てようとしていたのか? ②京都御所に落とし文をして公家や反幕活動する者を先導しようとした疑い
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松陰は幕府に対して自分の意見を正直に話したのですが、
老中間部詮勝を襲撃する計画を告白してしまい、処刑の決定打となってしまいます
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わざわざ言わなければ処刑は免れたんだろうにね・・・
1859年11月21日 吉田松陰 斬首刑により亡くなる(満29歳)
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首切り役の証言で「ご苦労様」といって堂々と立派な態度で最後を迎えたそうです
まとめ
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彼が思い描いていた日本の大きく変革した姿を見ることはできずに亡くなってしまったが、
その後にかなり強い影響を残して、倒幕へと向かう志士を輩出したのは間違いないなと。
![長まろ](https://otokin.com/wp-content/uploads/2022/05/74fec077ca9edb1bc28559d04eb39f7f.png)
そうだね。維新の志士たちは松陰の影響を大きく受けている人も多いからね。