現1000円札の顔としても有名な野口英世について語ります
野口英世記念館行ったね!
NGワード連発で番外編はボツになったので(笑)
今回は本編としてチャレンジしました!
大やけどを負う
福島県猪苗代町の農家に生まれる
1歳の時に自宅の囲炉裏に左手を突っ込んでしまい大やけど
指が開かなくなってしまった
農家としては片腕が不自由なのは結構致命傷です・・・
そのため母シカは農家を継がなくても食べていけるようにとにかく勉強をさせる
母の期待に応えた英世は学校では断トツで成績トップとなった
医師への憧れ
1892年 火傷を負った左手の手術を行う
⇒不自由ではあるが、指が開くようになった
★感動エピソード
学校の発表で自身の左手について語ったところ皆が涙した。
共感した先生、生徒が手術費用をカンパしてくれた。
手術によって英世の人生が変わる
⇒医者の偉大さに気づき、自身も医者を目指すようになる
手術をしてくれた医師の下で働き始める
その後医師免許取得のために上京する
上京後
★クズエピソード①
上京の時に生活費なども含めて100万円程度カンパしてもらっていた
その金は遊郭につぎ込んでしまい溶かしてしまう
血脇守之助に援助を受ける形で何とかなる
⇒血脇はその後も英世に援助し続ける
英世は上京後医師免許を取得するが、
不自由な左手で医者をすることができないため医師への道を断念
その後は細菌学者(研究者)として道を歩むことになる
実は本名は「清作」
友人から借りた本に野々口清作という医師を目指す若者が遊郭に通って散在するって書いてあり
自身と名前も近く行動も同じことから、改名を決意するんですね。
改名するには同郷に同じ名前の人がいるなどの理由が必要
恩師の小林先生に頼って同姓同名がいないかを村中を探して回った。
姓は違ったが、清作という名前の子はいた・・・
そのため小林先生に協力してもらってその清作を野口家に養子縁組してもらう
晴れて???同姓同名となったため自身の名前は「英世」に改める
研究で実績を上げる
1900年に英世は渡米し、ペンシルバニア大学の研究助手として働く
⇒ヘビ毒の研究で成果を上げる
1904年にはロックフェラー医学研究所に移籍
⇒梅毒スピロヘータの純粋培養に成功
このことで英世は世界に名を知らしめることとなります。
★スピロヘータとは
らせん状の細長い細菌の総称
★クズエピソード②
アメリカへの留学費用のために様々なところから集めた1000万円は全て芸者遊びに消えた
実はこの1000万円のうち300万円は結婚持参金としてもらっていたもの
斉藤ます子という女性と婚約したことで、先に結婚持参金を手に入れていた・・・
☞このお金も血脇が最終的に支払って婚約破棄
結婚詐欺じゃん・・・(笑)
欧米研究者もびっくりの野口英世式研究方法とは?
膨大な実験からデータを収集することで行っていた。
普通の人なら気の遠くなるような実験パターンの数を熟す。
欧米人からは「実験マシーン」というあだ名で呼ばれるくらいだったそうです。
★この時の英世は日に3時間しか寝なかったと言われる
そのため「英世はいつ寝てるんだ」と周囲に聞かれるほど没頭していた
道半ば力尽きる
その後は黄熱病の研究に参加する
★黄熱病
ウイルスを持っているネッタイシマカによって感染
一度かかれば終生免疫
重症化した場合の致死率は60%にも及ぶ
黄熱病は当時中南米で猛威をふるっていた
1918年からはエクアドルに赴いて原因究明に努めた
その後アフリカでも黄熱病が発生する
アフリカへ渡り検体採取を行った
1928年 自身も黄熱病にかかり亡くなる
様々なエピソードとともに野口英世を紹介しましたが、彼が遺した偉業は後に否定されることも多かったです。
しかし、細菌学に関する研究を推し進め、誰にも真似できない世界が賞賛した研究方法・研究への熱意はお札に載ってもおかしくない日本が誇る偉人だと思います。
すごく人間味のある人なんだと思ったよ!