「中島飛行機と終戦」なぜ戦後に姿を消すことになったのか?

大正

音声配信で話せなかったことも交えて、思い付きでここに記録として残します。

正直、それまで中島飛行機のことはそんなに詳しくは知りませんでした。

調べていくと、中島飛行機を通じて戦時中の日本が少し垣間見れた気持ちになりました。

一つ印象的な言葉がありました。

「水がなくて熱い湯で沢庵を洗い、かじった味の良さが今でも忘れられません」

これは、中島飛行機の工場で働いていた香川師範学校の女子生徒が書いたものでした。

すごいリアルな言葉で描写が脳裏をよぎっていきました。

軍需工業には、若い男子はほとんど戦地に駆り出されていますから、女性や子供が多く働いていたそうです。

とにかく固い飛行機の部材をハンマーで叩いたり、ものすごく狭い中に入り込み作業をし続け

それはそれは、大変な仕事のようでした。

そんなか食べた、たくあんの味・・・情景が浮かんできました。

また、中島飛行機の若く優秀な設計部門で働いていた人。

自由な発想でアイデアを出せるとあるものの、そこには大変な苦労がありました。

当時、設計して作り上げた飛行機はまず自社で試験飛行をすることなります。

そして、自分が設計した飛行機に乗ったパイロットが飛び立ち機器トラブルで墜落・・・

なんて事も実際にあったようです。

自分が設計した飛行機によって、仲間の命が失われた・・・

それはそれは、大変な苦悩があったようです。

印象的だったのは、試験飛行で墜落した飛行機の残骸の元へ関係者が急いでいった所、

そこには肉片が飛び散り、血で染まっていました。

そこで、中島知久平が言ったことが、この肉片の指の先まで忘れるな・・・

確かこんな言葉だったと思ったのですが、凄い言葉ですよね。

飛ぶ方もそうですが、作る側も命を背負って戦っていたんだなって思いました。

あと、戦時中の陸軍と海軍の仲の悪さが際立っていましたね。

中島飛行機でも陸軍と海軍から別々の要望がきて飛行機をつくっていて、

それを同じ工業で作っているとクレームがくる。

だから陸軍と海軍で工場をわけていたとか。さらに設計担当も一緒だと駄目だということで、分かれていたそうです。

なので、中島飛行機内でも別々に作ることになり、情報の共有ができていないことも

多くあったようです。

同じ飛行機でも陸軍と海軍では呼び名が違うのもまたややこしい話です。

これってとても効率が悪いし、残念ですよね。

同じ方向を向いていなければいけない人たちが、その中で対立をする。。

どうにかならなかったのかと思ってしまいます。

さて今回の音声収録では個人的な収穫は、フラットスピンを会話の隙間にさりげなく入れれたことです(笑)

長まろにはスルーされるほど、さりげなくいけました(笑)

複葉から単葉飛行機になった時に、安定性が損なわれたため空中でフラットスピンを起こすことがあったようです。

また、競争試作の説明時にコンペをコンパと言という挑戦もしてました。

これまた、スルーされてただ恥ずかしい自分がそこにいて、フラットスピンしたい気持ちでした。

中島飛行関連の本を今回もいくつか読みましたが、まったく知らない人や難しい本が苦手って人は、

この本からぜひ読むのがおすすめです。

私は、今回最後に巡り合って読んだのですが、最初に読みたかったぐらいすごく読みやすく、

情景が思い浮かんできました。

内容は、中島飛行機で数々の名機を手掛けた技術者「小山悌」を主人公にしたもので、この本に出会えてよかったです。


この本が今回の音声配信のメインの柱になりました。

終戦時の中島飛行機の葛藤や、再建に向けた行動など他の本にはない視点がたくさんあり、興味深かったです。

中島飛行機がなぜ戦後消えることになったのか?そんな内容が知れる本です。


中島飛行機の歴史を創業から終戦まで知るにはこの本が一番詳細に、書かれていると思いました。

ただ、最初に読むには難易度が高いので、予備知識を入れた状態で読むと興味がわき面白いかなとは思います。

創業者の中島知久平のことがよく書かれていたり、中島飛行機以外も三菱などほかの軍用機メーカーにも触れているので、内容はとても豊富です。


これは、中島飛行機をマニアックに知ろうという方にはお勧めです。

ただ一番難しいかもです。

私は、理解できないことも多々ありました。工学部の方とかいいんでしょうか・・・

ただ、中島飛行機のエンジンがいかに優れていて、それに対して技術者が試行錯誤して奮闘している様が知れて良かったです。

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