概要
からゆき(唐行)さんとは
19世紀後半に主に東アジアや東南アジアに渡って性売買していた女性
主に農村や漁村などに暮らす貧しい家庭の娘が売られた
どのように行われたか
当時の日本は農村や漁村などの田舎ではかなり貧しい生活をしていた
国内においても身売りなどはそこまで珍しくなかった
斡旋業者が貧しい農村などを周って年頃の娘を探し、
その子の親に現金を渡し売春業者に引き渡していた。
斡旋業者は売春業者から手間賃をもらって儲けていた。
言うならば人の転売みたいなもんです。
主な渡航先
中国、シンガポール、フィリピン、タイ、インドネシアなどアジア
ハワイや北米などのアメリカ
アフリカのザンジバルに渡った者もいる
ザンジバルには今でもからゆきさんが生活をしていた建物が残っている
渡航といっても正規の手続きを踏んでいない、いわゆる密航です。
また、船では劣悪な環境に閉じ込められたり船員から性的暴行を受けるものもいたそうです。
性的暴行をされないために自分の糞尿を体に塗って逃れた証言もあります。。。
厳しい労働条件
いわゆる港などによくあった「娼館」で働かされた
普段はそこまで客入りはないが、船が来ると一気に賑わう
一日で49人と相手したとの証言もあるくらい大変だった
密航先に来るまでの旅費や滞在費、手数料などで借金は膨らんでいる
借金を返済し日本へ送金するために必死で客の相手をした
性病対策も大変だった
今は避妊具であったり、薬であったりがある
当時は膣の消毒洗浄をしていた
想像しただけでお腹のあたりがヒヤっとします・・・
中には客に気に入られそのまま愛人として良い暮らしをしている例もあるがそれはごくわずか
ほとんどの女性は苦しい経済状況の中、自らの体を売り、心も体もすり減らして生活していた
精神的におかしくなったり、自殺する者もいた
日本政府は何もしなかったの?
基本的には黙認しました。(大っぴらに人身売買を認めていたわけではないです)
なぜなら、からゆきさんが稼いだ現地のお金は日本に送金される(外貨収入)ので、
日本の経済に貢献することになるんですね。
いつまでこんな状況が続くの?
それは性売買の専門家おが太郎の方が詳しいだろ(笑)
国際的に人身売買に反対する流れが出てきた
1910年代くらいから海外の日本人売春宿は廃止になっていき
からゆきさんも日本に帰っていくことになった
しかし、帰る場所がない者や自分の意志で留まった者もおり、
そのまま異国の地で生涯を過ごした人もいる
まとめ
■問題点
・人身売買であるところ
・日本人が日本人を売る闇の構図
・戦後日本において戦前の恥として闇に葬られた
こういった歴史こそ隠そうとせず二度と繰り返さないようにオープンにしていきたいですね。
■おまけ
ジャパゆきさんという言葉もある
☞からゆきさんを真似て作られた言葉
主に1980年代くらいにバブル経済で好況の日本で流行った
アジア諸国から日本に渡航してホステスやストリッパーとして働いた
いわゆるフィリピンパブとかそんなものを想像していただければいいんじゃないでしょうか。
いつの時代も人間が考えることは同じようなものですね。
参考図書
からゆきさんの証言をもとに書かれたルポルタージュ
小説のような描写で文学作品のように読むことができるが、あくまでもノンフィクション