自衛隊の設立には朝鮮戦争が大きく関わっています
日本軍解体
第二次世界大戦で日本は敗北
ポツダム宣言の受諾で連合国に管理下に置かれる
軍は解体され、陸軍省は第一復員省、海軍省は第二復員省となる
これらは復員業務と残務整理を担当
最終的に第一復員省のみとなり、後に厚生省に移った
そのため今でも太平洋戦争の残務処理は厚生労働省が引き継いでいます。
何で厚生労働省??って感じかもしれませんが、それはこういった経緯からですね。
警察予備隊の設立
1950年(昭和25年)
自衛隊の前身である警察予備隊が創設される
GHQ総司令官マッカーサーの命令によるもの(1950.7.8吉田茂へ書簡を送る)
【理由】朝鮮戦争に在日米軍約8万人を動員したため
日本の防備が手薄となり、治安維持・防衛を日本人に行わせたい
→7万5千人の警察予備隊創設と8千人の海上保安庁増員
同年8/10 ポツダム命令の形式で警察予備隊令を公布・施行
本来なら法律で定めなければならない事項も命令で行えるように緊急勅令の形式をとった
【活動の範囲】
治安維持のため特別の必要がある場合に内閣総理大臣の命を受け行動するもの
軍人は公職追放されていたため、警察官が集められる
治安維持が目的であったので、装備は限定的であった
しかし朝鮮戦争の悪化により重装備化していく
1951年 警察予備隊が初めて災害派遣
ルース台風が鹿児島に上陸し、死者行方不明者は300名以上、1000戸以上の家屋が流出する被害
警察予備隊から保安隊
法的根拠の明確な組織構築の必要性が叫ばれた
1952年 保安庁法を成立させ、保安庁を設置
警察予備隊は保安庁の中に組み込まれ、保安隊として改編
海上警備隊は保安庁警備隊として再編成
警察予備隊との違いは?
警察予備隊はあくまでも国内の治安維持のための部隊です。
保安隊は日本領土警備隊の役割なので意味合いが違ってきます。
保安隊から自衛隊
1954年 日米間で相互防衛援助協定の締結
これにより日本は自らの手で防衛する義務が生じた
防衛庁設置法、自衛隊法を制定
保安隊は自衛隊に改編された
陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の3つに分かれ、防衛庁が発足
2006年に防衛庁→防衛省に昇格
防衛庁長官→防衛大臣
※自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣
シビリアンコントロールってやつですね。
憲法9条
憲法9条には「戦力の不保持」の概念があるため
そもそも自衛隊は憲法に反しているのではないか?
最高裁は合憲とも意見とも判断を下していない
「高度な政治性を有するものは裁判所が司法判断すべきでない」
自民党は憲法9条の解釈を変えずに自衛隊を明記させ、決着を提案
公明党が慎重姿勢を崩さず決着はできていない
結局のところ自衛隊の存在は曖昧なまま現在に至っています・・・