今回は広義に「ミルク」の歴史から、日本において牛乳飲用がどうやって始まっていったのかを解説します。
概要
ミルクって普段あまり意識してないと思いますが、人類が自分の体から生産できる唯一の食料なんですよね。
(カニバリズムとかは除きます・・・)
確かにそうだね!みんなおっ〇い大好きだね!(笑)
おが太郎には敵いません(笑)
今では当たり前に飲まれているミルクがどのような経緯で飲用されることになったのか、世界の歴史から紐解いていきます。
中石器時代(1万年前)
人類が初めてミルクを利用したとされるのは牛ではなくヤギと言われる
1万年前からミルクを搾るために野生だったヤギを家畜化した
まだこの頃は穀物栽培は行っていなかった
農業が始まるより昔から人類はミルクと共に生きてきたとされる
紀元前3000年ごろ
当時のエジプト文明では牛を飼うことが富の象徴となっていた
牛の力で農耕を行うため、貴重な労働力でもあった
象形文字にも牛の頭をかたどった文字があった
→これがアルファベットのAであるともされる
牛と人間は少なくとも紀元前3000年前から共生していたことがわかる
(放送では尺の都合で言ってないですが・・・)
紀元前1400年ごろ、アラビア砂漠を旅する行商人は羊の胃袋で作った水筒
ヤギのミルクを入れていました。
もの凄い暑さに一日中いて、のどの渇きでミルクを飲もうとしたが水筒から出てきません。
水筒を切り開いて中を見ると白い塊になっていたそうです。
これがチーズの起源と言われます。
仏教とミルク
ミルクポーション等の乳製品で有名なスジャータは、
かつてブッダが断食修行で限界寸前まで自分を追い込んだ時に、
一杯のミルクがゆを差し出した村長の娘の名前に由来します。
放送では唐突にこの話出してますが、栄養って概念がないような時代でも、牛のミルクを飲めば元気になるようなことがわかっていたエピソードだと思います。
また、この出来事がブッダに苦しみでは悟りを開けないことを理解させたきっかけにもなっていると思います(あくまでも個人的に・・・)
日本のミルクの歴史
飛鳥時代~平安時代
日本では飛鳥時代には牛乳が飲まれていたとされる
牛乳は高い栄養価を誇る
→カルシウム、タンパク質、ビタミンをバランスよく含有
当時は薬と同等とされるほど貴重なものであった
朝鮮半島にあった百済という国から日本へ渡ってきた人が
当時の孝徳天皇に献上したことが始まりという説がある
日本初の牛乳飲用者は孝徳天皇かもしれない・・・?
また、平安時代でも皇族から貴族の間で牛乳飲用は広まっていた
※醍醐味と言う言葉・・・最上である、深い味わい
醍醐は牛乳由来の甘味汁(いわゆる飲むヨーグルトみたいなもの)
それだけ牛乳が美味しいとされていたわけですね
しかし武士の世の中になると牛よりも馬が重宝されるようになり
次第に牛乳も飲まれなくなっていった
馬も牛も飼えばいいじゃんって思うかもですが、飼育できる数には限りがあるんです。
餌もそうだし、世話もしないとだし・・・
そうなると戦で使える馬にどんどんシフトしていき、牛乳が廃れてしまったんですね。
江戸時代
8代将軍徳川吉宗の時代にインドから牛3頭を輸入
千葉県の南房総で飼育が始まった(近代日本初の酪農とも言われる)
この時作られていたのは「白牛酪(はくぎゅうらく)」
チーズや生キャラメルに近いものですね。
一時期70頭まで増えたのですが、明治時代に疫病で全滅してしまい子孫はいないようです。
開国後
19世紀中ごろに日本は開国をする
開国をしたことで外国人の居住も増加し、牛乳が必要になってくる
輸入すればよかったんじゃないの?
鮮度の問題があるし、そもそも牛乳(液体)の輸送って結構大変なんですよね。
それなら牛連れて行って現地で牛乳生産してもらったほうがコスト的にも良かったんです。
※今は冷蔵技術発達しているから鮮度の問題は概ねクリアできますが、日本で飲まれている牛乳は全て国内生産らしいです
前田留吉~幕末・明治時代の牛乳販売~
前田留吉は日本人と外国人の背丈の違いは牛乳にあると考えた
そのため日本でも牛乳を普及させようとオランダ人から牛の飼育方法や搾乳方法を習い
1863年に横浜に牧場を開いて牛乳販売を始めた
しかし、この頃はまだ高価であったので偉い人のみしか買えなかった
後に前田の造った牛乳は天皇にも献上された
1871年 明治天皇が毎日2回牛乳を飲んでいると新聞で伝えられる
その記事を読んだ国民の間にも牛乳飲用が広まっていくことになった
天皇陛下が飲んでいるならさぞかし良いものなんだろう・・・的な感じですかね。
結果的に需要が高まることで供給が増え、値段も下がっていき市民も牛乳に手が出せるようになりました。
戦時中
明治以降、牛乳飲用文化は拡がっていたが、戦争がそれを破壊してしまう。
牛乳から作られる接着剤が飛行機に使用されており、戦時体制下で軍需品に優先されたためである。
母乳の足りない1歳以下の乳児や病弱者に配給のみとなってしまった
また、戦争の長期化によって飼料が不足し、乳牛の飼育自体が困難になってしまった
戦後
1946年には学校給食で牛乳が取り入れられる
→当時飢餓状態の子供が多く栄養改善のため
しかしこの時は脱脂粉乳(牛乳を乾燥させ粉上にしたものを再度湯で溶かしたもの)
とりあえずものすごく不味かったらしいですね。
1958年には脱脂粉乳ではなく国産牛乳が出されるようになった
今日にいたるまで学校給食では牛乳が提供されている