「われ壮年武人となって名を天下に上げん」
土方歳三が若い時に詠んだ句です。
↓↓↓音声はこちら Part1
↓↓↓音声はこちら Part2
土方歳三の生い立ち
天保6年5月5日(1836年)10兄弟の末っ子
父は歳三が誕生する3ヶ月前に結核で死去
母も6才の時に結核で死去
幼少期の歳三はやんちゃ
高畑不動尊の山門の上によじ登り鳥の卵を来る人に投げつけたようなエピソードがあります
悪ガキじゃん(笑)
代々土方家で農業の副業としていた薬売り(石田散薬)
原材料(牛角草)を村中総出で行うが、その刈り取り指導に優れていた
この頃から組織のメンバーを束ねる才覚はあったのかもね!
そんな中で「天然理心流」を学び近藤勇と出会う。
1.6キロの大木刀で日々鍛錬をつむ。
土方歳三資料館に置いてあったぶっとい木刀だね!
当時の時代背景
新選組の回で触れているので、今回はテーマ通り「戊辰戦争」へ続く流れの部分となります
詳しくは新選組Part1,Part2で!
慶応3年 10/14 徳川慶喜が大政奉還を行い政権返上する 「天皇が国家統治を将軍に委任している権利を返す」 但し経済力、軍事力は徳川家がもっていた ⇒倒幕の正当性を失っていた薩長だが何とかして徳川を潰したい 慶応3年 12/9 王政復古の大号令 徳川勢力を解体⇒要職を新政府軍が抑える 政治的な影響力が大きく後退する
不満を持った幕府側勢力と新政府軍の戦いが始まることになります
戊辰戦争
鳥羽伏見の戦い
慶応4年 1月3~6日
京都の南郊外の鳥羽および伏見で起こる
新政府軍が約5,000人、幕府軍が約15,000人
数では圧倒的に幕府軍が上回っていたんだね!
ただ、幕府軍は旧来の歩兵中心の斬りこみで戦ったのに対して、
新政府軍は銃や大砲といった兵器で高台から攻撃したから一気に戦線が崩壊したみたい
指揮命令系統の整っていなかった幕府軍は壊滅状態となる
新選組も斬りこみで攻撃するも歯が立たず退却
徳川慶喜は自軍を捨てて大坂城から江戸へ逃亡(松平容保も)
土方歳三ら生き残った新選組も江戸へ退却しました
甲州勝沼の戦い
新選組は「甲陽鎮撫隊」として再編され、
甲府城を幕府側の防衛拠点とするため甲府へ向かうことになります
新選組は薩長から恨みを持たれていたので江戸から離しておきたかった説もあります
しかし先に板垣退助率いる新政府軍400名が到着してしまう
甲陽鎮撫隊300名(うち元新選組70名)は新政府軍と交戦するが
2時間で甲陽鎮撫隊側が壊滅し敗走する
江戸城の無血開城
慶応4年 4月11日
新政府軍と幕府とで江戸城の無血開城が約束される
これにより幕府軍の軍艦、武器をすべて引き渡すことが決まり
事実上戊辰戦争は終結へと向かっていくはずだった
でも奥羽越列藩同盟が結ばれ、戦いは継続していくことになります
宇都宮城の戦い
同年 5月11日
土方歳三が指揮をしたと言われている
宇都宮城は先に新政府軍に制圧されてしまうが
土方歳三が士気の上がらない味方を斬ったことで統率を取り
1日で宇都宮城を取り返すことに成功する
しかしその後新政府軍が大挙押し寄せ、宇都宮城は取り返されてしまう
その際に土方は小銃弾で足の指を負傷したことで、
その後の会津戦争はほぼ戦線離脱することになる
会津戦争
会津藩と奥羽越列藩同盟などの旧幕府軍と新政府軍の戦い
だが、土方歳三は戦線を離れていたため戦うことなく北へ敗走する
榎本武揚との合流
榎本武揚は幕府側の艦隊を無理やり奪って仙台まで来てました
仙台城で開かれた軍議に参加
榎本は総督に土方歳三を推薦
「生殺与奪の権利をくださるのなら、全軍の惣督を引き受けます」
生殺与奪…他人に対して「生かす」か「殺す」かを選択できる権利のこと
結果的に反対が多く土方歳三が総督になることはなかった
それくらいしないと士気が保てないからなんだけど、
まぁ普通に考えておっかないよね・・・
箱館戦争
新政府軍は北海道にはあまりいなかった
五稜郭や松前城は簡単に制圧できた
⇒蝦夷共和国の成立
総裁・・・榎本武揚 副総裁 松平太郎 (陸軍奉行:大鳥圭介、陸軍奉行並:土方歳三) 海軍奉行 荒井郁之助
五稜郭は当時完全に完成されていなく、守備面に不安があった
⇒五稜郭に至る経路で戦うことになる
4/13 二股口の戦い ※二股口は箱館へ至る最短路
【1回目】
土方軍は300人、対する新政府軍は500人
新政府軍が通るルートの上に塹壕(ざんごう)、胸壁(きょうへき)を作り
そこから攻撃を加えて撃退する
土方歳三の采配がうまく数で劣っていたものの撤退させることに成功しました
【2回目】
激しい銃撃戦となる
新政府軍陣地に不意をついて突入して指揮官を殺し撤退させる
新政府軍はあきらめ、迂回路の構築に専念する。
松前と木古内は新政府軍に突破され 土方軍は五稜郭への撤退を余儀なくされる。
肝心の五稜郭が攻められてしまっては意味がないから撤退は仕方ないですね
5/11 函館総攻撃
新政府軍4,000名が大挙して押し寄せてきた
弁天台場が新政府軍に包囲され孤立
土方歳三は救出のためわずかな兵を率いて出陣
諸説あるが、土方歳三は馬にのっていたところ腹部に銃弾を受け落馬したとされる
箱館一本木関門で土方歳三は戦死する
5/18 榎本武揚が降伏
1年4ヶ月にわたる戊辰戦争終結
約7年間の新選組の終焉となる
函館まで土方と運命をともにした新選組 中島登は、こう振り返っております。
「温和で、皆は赤子が母を慕うように彼のことを慕った」
「鬼の副長」とは真逆の評価だね!
市村鉄之助
京都にて14歳で新選組に入隊
箱館戦争で最期になるかもしれないと悟った土方歳三は、
市村鉄之助に日野の佐藤彦五郎を訪ねるように写真と今の状況を伝えた手紙を渡す
佐藤彦五郎は土方歳三の姉と結婚しており、義理の兄弟にあたります
市村鉄之助は函館から外国船で脱出
3か月くらいかけて命からがら日野にたどり着き遺品を佐藤彦五郎に渡す
たった1枚しかないこの写真が彼を有名なものになります
まとめ
いや~、テーマ土方歳三、長かったね(笑)
土方歳三を過度に英雄視するという目的で話しているわけではないんですね。
時代が変わる中で新選組、土方は巻き込まれていく、だけど自分の中のしっかりとした軸をもって生きた人かなと思います。
おまけ ~番外編~
東京日野市にある土方歳三資料館に行ってきました!
時期によっては「和泉守兼定」の刀身も展示してあります!
うちら行ったときは刀身は見れなかったね
でも色んな資料や展示があって「土方ファン」は必見のプレイスだと思います!
うちらは土方歳三資料館の宣伝かよ(笑)
興味あればぜひ行ってみてください!
↓↓↓番外編の音声はこちら