アメリカの歴史は実は結構浅いんです
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例えば中国4000年の歴史なんて言われる
日本は少なくとも大化の改新645年で国として存在はしている(もっと前からあったけど)
ヨーロッパ諸国は紀元前から歴史ありますよね。
アメリカも昔から人はいたんじゃないの?
アメリカは昔どうだったかの資料はないんだよね。
文字がなかったから。
アメリカの誕生
元々はネイティブインディアンの国(部族がたくさん存在していた)
アメリゴ・ヴェスプッチの名前からアメリカと名付けられている
1492年 コロンブスがサン・サルバドル島に到着しアメリカ大陸発見
ここで歴史に初めて登場することになります。
ヨーロッパ諸国から新天地を求め移民が少しずつ渡るようになります
そこにイギリス人が入植しだした
最初のイギリス植民はヴァージニア(1607年)
「ヴァージン・クイーン」と呼ばれたエリザベス女王に因んでいます
1620年 メイフラワー号102人(ピルグリムファーザーズ)が移民する
ピルグリムとは清教徒(キリスト教のプロテスタント)のこと
★なぜ彼らが渡米してきたか イギリスはヘンリ8世の時まではカトリックを信仰していた ヘンリ8世が離婚したいがために英国国教会を設立⇒英国王がトップの宗教 それに反対する人たちがいわゆるピューリタンだった ヘンリ8世は自身の宗教に反対するピューリタンを迫害した 迫害から逃れるために新天地を求めアメリカ大陸に入植しだした
入植者が増えるにつれてイギリスの勢力圏も拡大し、
アメリカ大陸での覇を争っていたフランスとの戦争にも勝利(1754年フレンチ・インディアン戦争)
主に東海岸側だけだったが、イギリスは植民地としてアメリカ経営に成功する
こんな感じでイギリスの植民地としてアメリカの原型ができました
アメリカ人としてのアイデンティティの芽生え
元々はイギリス人が中心の人たちであったので
イギリス人としての意識も高かったが
世代が変わりアメリカ生まれの人たちが中心になると
次第にアメリカ人としてのアイデンティティのようなものが芽生えてくる
元々はイギリス人が入植したんですけど、そこの地で結婚して、子供が生まれ、
その子供にも子供が生まれ・・・
そうすると本人の意識としてはイギリス人というよりはアメリカ人となっていくんですね。
これって日本生まれの別人種の方もルーツは大事にするけどアイデンティティは日本だって言ってたりするので、やはり生まれ育った場所って重要だなと感じました。
そのため、本国イギリスへ高い税金を納めることに納得がいかない人たちが増えてくる
イギリスはフランスとの戦争(フレンチ・インディアン戦争)
ヨーロッパ内での戦争(7年戦争)により、
かなりお金を使っていたため植民地への課税を強化していた
・砂糖法
・印紙法
・タウンゼント法(お茶、鉛、ガラスに課税)
こんな感じで課税できそうなものに対して法律を作って負担をさせようとしました。
しかしどれも反対が強く上手くいきませんでした。
アメリカ独立戦争
ボストン茶会事件(1773年)
先の流れから茶法が成立した(1773年)
東インド会社の茶には課税なしで販売
これが逆効果となる
元々植民地で茶を卸売りしていた業者よりも安い値段で茶が出回ってしまう
結果的に儲かるのは東インド会社だけになってしまったんですね
ボストン茶会事件(ボストンちゃかいじけん、英: The Boston Tea Party)は、1773年12月16日にイギリス領マサチューセッツ湾直轄植民地(現アメリカ合衆国マサチューセッツ州)のボストンにおいて、植民地人の急進派がイギリス本国議会(グレートブリテン議会(英語版))に対する抗議として停泊中の船舶から積荷の茶箱を海に大量投棄した事件。アメリカ史において、後のアメリカ独立戦争への転機になった出来事と評される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E8%8C%B6%E4%BC%9A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
これに怒ったイギリスは軍隊を派遣し武器庫を接収しようとする
アメリカ側も民兵を組織し、一触即発の事態となる
レキシントン・コンコードの戦い
レキシントン・コンコードの戦い(レキシントン・コンコードのたたかい、英語: Battles of Lexington and Concord)は、1775年の4月19日に起こった、アメリカ独立戦争が始まる契機となったイギリス本国軍とアメリカ植民地軍間の戦闘である[1]。
イギリス軍が、ボストン北西に位置するコンコードにあった、アメリカ植民地民兵部隊の武器庫の接収作戦を実施した。それに反発すべく動いた植民地民兵隊と武力衝突、レキシントンとコンコードにてイギリス軍と民兵隊の激しい戦闘が行われ、植民地軍はイギリス軍を撃破した。規模は小さいながら独立戦争の初戦を飾るものとなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
当然ながらイギリスは当時から世界最強の国
アメリカは物資の面、装備の面で劣るため苦戦を強いられることになる
しかし地の利を生かした戦術、独立への想いが強く
イギリス軍を徐々に追い詰めることとなる
イギリスが劣勢になってくると、欧州の国々がみなアメリカを支援することとなる
それまでも陰ながら支援はしていたんですね(表立ってするとアメリカ負けた時にやばいから)
ヨークタウンの戦い
ヨークタウンの戦い(ヨークタウンのたたかい、英: Battle of Yorktown)は、1781年に起こった、アメリカ独立戦争を事実上終結させた決定的な戦闘。
バージニア植民地東岸のグレートブリテン王国(イギリス)軍最終拠点であったヨークタウンにて、米仏連合軍がチャールズ・コーンウォリス率いるイギリス軍約7,000を包囲、降伏させた。この戦いによって、アメリカ独立戦争における植民地軍の勝利は確定し、独立戦争は事実上の終結を見た。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
当時世界最強の大国であったイギリスにアメリカが勝った
1783年パリ条約でイギリスが独立を承認
初めて最初から国王や貴族などの身分階級のない共和制国家
フランス革命などの市民革命にも影響を与えたと言われます。
アメリカ独立戦争に参加した義勇軍で、フランス革命でも活躍した人は何人もいます。