「海と毒薬」遠藤周作~日本人の倫理観~

事件
長まろ
長まろ

私が初めてちゃんと読んだ小説になり、とても思い入れのある作品でもあります!

音声はこちら↓↓↓

概要

『海と毒薬』

作者:遠藤周作
1957年(昭和32年)に発表

九州大学生体解剖事件を基に作られた作品
~九州帝国大学の医学部でアメリカ軍捕虜を生体解剖した事件~

九州大学生体解剖事件(きゅうしゅうだいがくせいたいかいぼうじけん)は、第二次世界大戦中の1945年福岡県福岡市の九州帝国大学(現九州大学医学部の解剖実習室においてアメリカ軍捕虜に生体解剖(被験者が生存状態での解剖)が施術された事件。相川事件ともいわれる。

大学が組織として関わったものではないとの主張もあるが、B級戦犯裁判ならびにその後の関係者の証言、関係者の反倫理的行為への意図的な隠蔽と否認などから、医学部と軍部の両方による計画的実行であったとする見解もある

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E4%BD%93%E8%A7%A3%E5%89%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6

物語は大きく分けて5つのパートから構成されている
1・・・私(主人公)と勝呂(すぐろ)医師の出会い
2・・・勝呂の回想
3・・・看護師の上田の回想
4・・・勝呂の同僚戸田の回想
5・・・生体解剖実験について

長まろ
長まろ

あくまでも長まろ視点の区切りなので、実際の本の区切りはもう少し細かいです

あらすじ

長まろ
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前述の1,2,5のパートの内容を話しますが、当然ながらネタバレとなります。
(詳細までは語りませんが、何も知らないまま読んでみたいって人はそっとページを閉じてください(笑))

※当時の時代の価値観で描かれておりますので、表現が相応しくない箇所もありますが、そのまま引用したりしますのでご容赦ください

私(主人公)と勝呂(すぐろ)医師の出会い
長まろ
長まろ

まず主人公である「私」は、新宿から1時間くらいのベッドタウンに引っ越してきたばかりで、
肺気胸を患っていて定期的に治療が必要なため、家の近所の病院を探していました

そこで勝呂医師と出会う
勝呂は腕はいいがどこか影を帯びているようでとても怪しいし怖い
近所の住人に評判を聞くが、腕は良いが人付き合いは良くなさそうな評判

長まろ
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そんな中、ガソリンスタンドの主人から以下のセリフがあり、
戦争で人を殺した人が普通に今生活している布石がある

ガソリンスタンドの主人
「シナに行った連中は大てい一人や二人は殺っているよ。俺んとこの近くの洋服屋
知っているだろう。あそこも南京で大分、あばれたらしいぜ。」

『海と毒薬』遠藤周作著

「私」は九州のとある町で勝呂の噂を聞くことになる
かつて起きた生体解剖事件に参加していたらしい
町に戻った「私」は勝呂にそのことを問いただす

勝呂
「仕方がないからねえ。あの時だってどうにも仕方がなかったのだが、
これからだって自信がない。これからも同じような境遇におかれたら
僕はやはり、アレをやってしまうかもしれない

『海と毒薬』遠藤周作著
長まろ
長まろ

こうして勝呂医師が過去を語る形で続きます・・・

おが太郎
おが太郎

この時点でめちゃめちゃ暗いな・・・

勝呂の回想

第二次世界大戦も終わりに近づいていたころ
九州にあるF市の病院で研修医として勤めていた勝呂は
とある中年女性の患者に固執していた
自分にとっての初めての患者である彼女を何とか救いたいと考えていた

しかし同僚の戸田からは以下のように言われてしまう

病院で死なん奴は、毎晩空襲で死ぬんや
おばはん一人、憐れんでいたってどうにもならんね。
それより肺結核をなおす新方法を考えるべし」

『海と毒薬』遠藤周作著

そしてこの中年女性はまだ確立されていない手術の実証実験の被験者となる
手術をしても高確率で死ぬが、何もしなくても余命半年であった

長まろ
長まろ

もちろん本人もそれを望んでのことです

戸田は医学の進歩で死ぬなら名誉であると切り捨てた
勝呂も頭では戸田の言う理屈はわかっているのだが
心情的に彼女の命を割り切ることができなかった

また、病院内では派閥争いがあり、
勝呂や戸田の属している派閥の教授が手術ミスをして患者を殺してしまう
大きな問題にしたくなかったので、術後に亡くなったことにするため
患者の家族は術後面会謝絶にして、翌日術後の経過が悪く亡くなったことにされた

長まろ
長まろ

このような事件もあり、勝呂は倫理的な問題に頭を悩ませて
医師としての誇りや仕事への情熱などを失っていたんですね。
また、追い打ちをかけるように勝呂が固執していた中年女性も衰弱によって亡くなってしまいます。

そんな中、勝呂と戸田は助教授に呼び出される
そしてアメリカ人捕虜の生体解剖の参加を打診される

これはもちろん強制ではなく、いつでも断れる誘いではあった
しかし勝呂も戸田も最終的に断らなかった
勝呂は黙って運命を受け入れた

生体解剖実験について
小説内で行ったとされるアメリカ人捕虜の生体解剖実験は次の3つ
①捕虜の血液に生理的食塩水を注入し、その死亡までの極限可能量を調査
②捕虜の血管に空気を注入し、その死亡までの空気量を調査
③捕虜の肺を切除し、その死亡までの気管支断端の限界を調査
長まろ
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作品の描写では③の肺を切除のシーンが描かれています

勝呂と戸田は捕虜に麻酔をする役を任された

これから生きたまま解剖されることをもちろん捕虜は何も知らないので
万一気づかれて捕虜を取り乱させないようにしていたが、
勝呂は怖気づいてしまい、結局戸田が麻酔を行った
もう自分は何もできないと言う勝呂に対して戸田が

戸田「断るんやったら昨日も今朝も充分、時間があったやないか
今、ここまで来た以上、もうお前は半分通りすぎたんやで」
勝呂「半分?何の半分を俺が通りすぎたんや」
戸田「俺たちと同じ運命をや」

『海と毒薬』遠藤周作著
長まろ
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要は戸田は勝呂にもう「俺たちは同罪だ」と言うのを伝えたんですね。

その後麻酔で眠った捕虜を予定通り生体解剖する
従来の実験では両肺は二分の一以上、同時に切れば即死すると言われていた
作中では左肺を全部取り、右肺の上葉を切断した
以下が捕虜が亡くなる瞬間の描写

「四十・・・三十五・・・三十」戸田が血圧計を読みあげる。
「三十・・・二十五・・・二十・・・十五・・・十・・・終わりです」

『海と毒薬』遠藤周作著
長まろ
長まろ

捕虜の命は本当にあっけなく終わってしまいます

作品で伝えたかった事

神のいない日本人の罪の意識

他国では何らかの宗教を信じている国が多い
宗教によって絶対超えてはいけない倫理観が存在する
日本人はほとんどが無宗教であるため、
核となる倫理的行動規範をするものがない

長まろ
長まろ

周りの状況や同調圧力に負けてしまうことを暗に作品では伝えたかったのだと思います

作中においても手術参加者の誰もが倫理的な問題へ明確な答えが出せなかった

長まろ
長まろ

宗教においては大体は殺人は「悪」であり、
本作における場面に遭遇したとしても、
信仰における善悪で「ノー」が言えたんですよね。
しかし日本人はその部分の明確な倫理観がないため、
戦時中という特殊ケースにおいては許容してしまった・・・とも考えられます。

命の価値観は戦時中と平時では変わってくる
病院で死ななければ空襲で死ぬ
敵の兵隊を殺すことは正義(とも言われていた)
どうせ処刑になるアメリカ人捕虜を人体実験したほうが医学の進歩となる
結果的に多くの日本人を助けることになる

戸田
「世間の罰だけじゃ何も変わらんぜ」
俺もお前もこんな時代のこんな医学部にいたから捕虜を解剖しただけや。
俺たちを罰する連中かて同じ立場におかれたら、
どうなったかわからんぜ。世間の罰など、まずまずそんなもんや。」

『海と毒薬』遠藤周作著

神なき日本人にとって罪を罰するのは世間であり、
そして世間の倫理感はその置かれた状況次第で変わってくる

長まろ
長まろ

あくまでも遠藤周作が日本人の倫理観についての問いかけをしているだけで、
全ての日本人がこうなるとか、宗教を信仰している人は絶対やらないとかではないので・・・

おが太郎
おが太郎

「良心」とは何なのか・・・とても深く考えさせられる内容だったね!

タイトル『海と毒薬』に込められた意味

海はあらがえない運命のようなもの
毒薬は人間の良心を麻痺させてしまうもの

長まろ
長まろ

作中には海の描写が度々登場します。
そこで何を感じ取るのかは読み手次第なのかなと思いました。

Bitly
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