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日英同盟とは
1902年に締結された日本とイギリスとの軍事同盟
1923年の同盟解消まで約20年余り続いた
同盟締結の経緯
1894年日清戦争で日本が勝利する
1900年義和団事件が起こる
⇒ロシアと日本間での摩擦が強くなる
対するイギリスも大陸領土(中国やインド)の権益保護のためロシアを警戒していた
長まろ
でもイギリスはかつての圧倒的世界一位の面影に陰りが出てきていて
大陸領土の保全にまで手が回せなくなってたんだよね
南ア戦争での苦戦により義和団事件では日本に派兵をお願いすることになる
おが太郎
義和団事件の時に言ってたね!
詳しくはこちら
地理的に遠い日本とイギリスが互いの大陸領土保全面で同盟を結ぶこととなる
「光栄ある孤立」
イギリスは1800年代前半からどこの国とも同盟を組まない政策を取っていた。
軍事同盟を結ぶことによりメリットの薄い戦いにも参戦することを避けたかったと言われている。
長まろ
いかに日本との同盟にメリットあったかがわかりますね
日英同盟の大目的は「ロシアの封じ込め」にある
同盟の内容
長まろ
日英同盟は大きく3回変更を加えて結ばれます
1902年
防衛的な同盟と言われる
・お互いの大陸領土の権益の保護
・中立の維持(2か国以上との交戦の場合は参戦義務あり)
1905年
参戦義務を1か国でも適用
1911年
アメリカとの関係を鑑みて、イギリス側から交戦国からアメリカの除外を希望
⇒アメリカが太平洋に進出する際に日本の存在を良く思っていなかった
第一次世界大戦での活躍
長まろ
日本は第一次世界大戦でも日英同盟による参戦義務でドイツに宣戦布告してます
・ドイツの中国領および南太平洋の領土を攻撃、占領
・連合艦隊の護衛任務のため欧州へ派兵
マルタ島の「第二特務艦隊」 日英同盟に基づき連合国側の輸送船団護衛に従事した日本海軍部隊。 マルタ島を中心とする地中海に派兵。駆逐艦の榊は任務中に被弾し多くの犠牲が出た。
長まろ
今でもマルタ島の英軍墓地に日本軍の慰霊碑が建てられて祀られております。
日英同盟の終焉
1923年に4か国同盟の成立により解消となる
ただし4か国同盟はあまり意味を成さずに2回目の世界大戦へと舵を切っていくこととなる
長まろ
日英同盟の意義は
・日本を超大国の仲間入りさせた
・国際的地位を向上させた
ことだと思います。(良かった悪かったは除いて)
おが太郎
今までやってきた回ともつながってくる話だったね!