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高杉晋作と辞世の句ってテーマ面白そうだね
音声はこちら↓↓↓
高杉晋作の辞世の句
辞世の句とは・・・死を前にしてこの世に書き残された詩的な短文のこと。和歌、俳句、漢詩など音韻を重視したものであることが多い。
コトバンクより抜粋
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今風に言えば遺書だね
「面白きこともなき世を面白く住みなすものは心なりけり」
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これが高杉晋作が遺した辞世の句と言われております
高杉晋作ってどんな人
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新選組調べてたら出てきてたね!幕末のこと調べてれば必ず名前は出てくるイメージ
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そうそう、池田屋事件とかでも絡んできたりするんだけど、高杉晋作って長州藩の人なんだよね。それで長州藩でも有名所の人だから、尊王攘夷とかそういったところでも名前は出てくる
1839年に武士の家系に生まれる
地元で吉田松陰が開いていた松下村塾に入る
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松下村塾では久坂玄瑞と高杉晋作が成績優秀のツートップだったらしい
とにかく向上心の強い人だったんだと思います
吉田松陰の教えが本当に正しいのかを実際見てみたいことから上海に留学
当時の上海はアヘン戦争に負けてイギリスに租借(植民地化)
イギリス人の横柄さ、中国人の卑屈さが目に付いたと言われている
⇒この時の留学経験が高杉晋作に強い影響を与える
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日本は中国のようになりたくないという想いから尊王攘夷運動に結びつきます
高杉晋作の人柄がわかるエピソード ①生麦事件(薩摩藩士がイギリス人を殺害した事件)を長州藩も攘夷運動として行う計画を企てる ⇒藩の上層部に止められ未遂で終わる ②建設中の英国公使館を焼き討ち 完成していれば江戸最初の洋館となるはずだったが、焼き討ちにより焼失
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過激だね(笑)
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過激だけど能力の高さは松下村塾でもわかっていたし、藩でも一目置かれる存在だったみたい。
奇兵隊の設立
1863年 関門海峡を通過中の外国船に長州藩が砲撃を加える
⇒報復により下関戦争が勃発
高杉晋作も下関防衛で参戦するが、この時に奇兵隊を結成する
奇兵隊とは・・・藩士と藩士以外の武士・庶民からなる混成部隊。
ウイキペディアより抜粋
「奇兵」とは正規の武士を意味する「正規兵」の反対語。
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武士以外でも戦いたい人は付いてこい!って感じで集められたんですね
ただこの時の戦いは負けてしまいます
彦島の租借拒否
下関戦争停戦交渉の場で彦島の租借を求められるが、高杉晋作は断固拒否
結果的に租借されることはなかった
⇒上海での留学経験で「租借」の恐ろしさを身をもって知っていたからと言われる
※彦島は本州と九州を結ぶ重要な島
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もしこの時彦島を租借させてたら今でも外国領だった可能性は否定できません
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そうだね、もしかしたら取り返せない可能性もあっただろうしね
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ちなみにこの話は停戦交渉の場に同席していた伊藤博文が語ったとされます。
高杉晋作の死去
1866年 第二次長州征伐で海軍を任され、幕府軍を撃退する
しかしこの時にはすでに病魔に侵されていたと言われる
1867年 肺結核により満27歳の若さで亡くなる
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明治維新後にも生き残っていればきっと活躍したんだろうな・・・
辞世の句の考察
「面白きこともなき世を(に)面白く住みなすものは心なりけり」
「住みなすものは心なりけり」・・・高杉晋作を看取った野村望東尼が付け加えたとされる
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今風に言うと「あなた次第です」って意味です
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ってことは「面白くない世の中を面白く感じるかどうかは、あなた次第ですよ」って意味の句なのか
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実はこの辞世の句は2パターン存在してるんだよね。
1文字だけ違ってて、「面白きこともなき世を(に)面白く」なんだよね。
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「を」と「に」だけ変わってるんだよね。
これニュアンスの違いになるのよ。
「を」のパターンはさっきおが太郎が述べた通りなんだけど、「に」パターンの訳はこうなる。
「面白くない世の中でも(自分から)面白いことをやろうじゃないか」ってなるんだよね。
これ微妙に違うでしょ。
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うん、微妙に違うね(笑)
積極性が違うみたいね。
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「を」の場合はどちらかというと内包的な意味
「に」の場合は自発性が現れるんだよね
ちなみに高杉晋作がどっちを詠んだのかはわからない(笑)
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え!?そうなんだ。
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だからこそこの辞世の句の解釈を考えていくのはとても面白いと思うんだよね
個人的には「に」のパターンかな。
高杉晋作の生き様を見た感じ、「自分が面白くしてやるぜ!」的な(笑)
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この頃の人たちってみんな「国のため」って意思がすごい感じられるよね。
今の自分含め、みんな「自分の生活を良くするため」って考えばかりになってると思う。