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タカハシコレキヨ、ナクナヨ、アリガト、sayナガマロ
日露戦争の経緯
ロシアは年間通して凍らない港を求めて
南に領土を拡大する南下政策をとっていた
1900年に発生した義和団事件を口実に満州に出兵し
実質ロシアが勢力下に収めた
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義和団事件はこちら
朝鮮半島、さらに日本へ迫ってくる危機感があった
この危機感は、日本だけでなく中国に利権を持つイギリスも同様
そこで、1902年に日本との日英同盟を結んだ
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日英同盟はこちら
そして1904~1905年 日本とロシアのあいだでおこった戦争が「日露戦争」
日本とロシアの戦争時の比較
1900年当時両国のGDP比較をすると約3倍の開きがあった
・日本:約520億ドル
・ロシア:約1540億ドル
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ちなみに、アメリカは約3120億ドル
1900年当時の人口
・日本:4千4百万人
・ロシア:1億2500万人
日本よりロシアは約3倍多い
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この人口の差からみても、戦争となると日本はかなり不利なようにみ見えるが、
ロシアは国土が広い分、自国防衛のためヨーロッパ方面などへ兵力を残さなければならない弱点もある。
実際に、日露戦争で展開されたロシアの兵力は全体の4割ほどでした。
日本は、国内の予備兵力も使い動員して総力戦で戦ったため、
日露戦争の兵士の数の差はロシアが少し上くらいで、大差はなかった
金本位制を導入
現在は管理通貨制度で、国が通貨の発行量を決めることができる
日露戦争時においては、多くの国が金本位制度を採用していた
・1844年にイギリスが金本位制度を採用
→ヨーロッパ各国も次々に金本位制度を導入
・日本では1897年に金本位制度を採用
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ちなみにロシアも同じ年に金本位制度を採用してます
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金本位制とは何?
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金(ゴールド)を通貨の価値基準とする制度です。
例えば、1万円って紙幣は、みんなが1万円って思っているから1万円の価値がある。
その共通の認識がなければただの紙であって・・・
金は昔から世界中の共通の認識としてその価値が認められていたので金を基準としました。
日本で言えば、1円=0.75グラムの金と交換が可能とした
■メリット ・金本位制を導入している国同士での貿易がしやすい ・価値が安定しやすい
■デメリット 金の保有量以上に紙幣を発行することができないということは、 戦争時において紙幣をたくさん刷って軍事物資をたくさん買いたい時にそれができない。
戦争には多額のお金が必要
①日露戦争時の日本海軍の主力艦三笠
イギリスの会社がつくった輸入品
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三笠・アッカーマンではありません!
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進撃の巨人ね(笑)
②ウール(羊の毛)
日露戦争では寒い場所での戦いで、兵士が着る軍服にはウールが使われていた
ウールもほとんど輸入品でまかなわれている
輸入物資を買うにはとにかくお金が必要
金本位制では自国の紙幣は、保有する金の量以上に発行できず
輸入品を大量に買えば、金が海外に流出してしまう
もし金本位制をやめれば日本の通貨の信用がなくなり価値がなくなる
結果的に海外との取り引きが難しくなってくる
日本の資金集め
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でもどうやってお金を集めればいいの?税金?それだと即効性はないよね・・・
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それもあるけど、日本の公債を発行してを外国に買ってもらうことにしたんですね。
当時、外国に貸し出せるほど資金のある国は限られていた
アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスくらいしかない
イギリスは、世界に先駆けて金本位制を施行した国
強大な海軍力を背景に広大な範囲の植民地支配をして繁栄していた
当時もっとも信用力が高い通貨、基軸通貨はイギリスのポンドだった
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今はドルですね!
日本は真っ先にイギリスを頼みにする
そこで誰かが世界で最も信用のおける通貨であるイギリスポンドで
資金を借りてこなければならなかった
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じゃあ誰が、交渉しにいくのか?
そこで選ばれたのが、髙橋是清だったわけです!
日露戦争時は、日本銀行副総裁でした。
【エピソード】 開戦がはじまって間もないころ、築地の料亭に呼ばれた そこには、当時の首相、桂太郎や元老の井上馨、曾禰大蔵大臣、 松尾日銀総裁と早々たるメンバーがいた。 彼は、座敷へ通された時に、深く頭を下げたつもりだったが、 ふくよかな体格のため、首を少しだけ折ったようにも見えた。 風貌がダルマに似ていることからダルマって呼び名で国民からも親しまれた ロンドンに行って公債の募集に当たってほしいと頼まれる 髙橋是清は最初断る 日露戦争はすでに始まっていて、公債募集に失敗した場合は、 国家そのものが破綻してしまうかもしれない割に合わない仕事であったためである。 しかし早々たるメンバーの懇願が続き、 髙橋是清は泣き出してしまう。 そこで最後には引き受けることを決意してみんなで抱き合って泣いたという。
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こうして海外に公債を売りに行くことが決まった
タカハシコレキヨ ナクナヨ アリガト say ナガマロ
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出た!おがラップ(笑)
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こうして、彼は日銀副総裁でありながら日本の運命を背負って、
アメリカを経由して、イギリスのロンドンへ向います。
しかし公債の募集にイギリスの金融業界は積極的に協力してくれませんでした。
これはどういうことか?
日露戦争勃発時の公債価格
ロンドン市場における日本とロシアの公債利回り
【開戦前後の日露公債利回り推移】
1903年12月
・日本 5.2%
・ロシア4.2%
日本の方が少し評価が低くて、両者の差は1%前後の開き
【日露戦争が始まって2か月後】
両者の差が倍以上拡大した
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これは、何が言えるかというと、
ロンドン市場では、日本がこの戦争に勝てるとは考えていなかった。
これは他の国の多くもそう見ていたようです。
日露戦争にはいくら必要?
日本は日清戦争時の戦費を参考に日露戦争の軍事総額を約4億5000万円と見積もる
これは朝鮮からロシア軍を一掃する1年ほどの戦費で、
戦線が拡大して継続するときは、戦費はさらに追加が必要であった
実際には戦争が満州の地でも行われ、拡大していき
結局、最終的には約20億円ほどかかった
日本はまず約1億円、1000万ポンドの公債を発行して募集した
髙橋是清は、毎日ロンドンの各銀行や財閥ロスチャイルド家など
財界人を訪ね交渉し交際範囲を広げた
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公債募集だけにね(笑)
銀行か個人資産家か?
高橋是清は銀行かロスチャイルド家のような資本家、
どちらに交渉していくか悩んだ
【資本家】
ロスチャイルドのような単独で引き受けられるような大資本家は、
見込みがあれば直ちに応じることができる
しかし、資本家は、得た利益がそのまま、自分の利益となるので、高い利回りを要求してくる
【銀行】 銀行はいずれも株式会社で大衆からの預金を運用していて、公債を買う余力がなく 一般公募を募らなければならない だから、要望には速やかに答えられない ただ、株式組織で利益が直接各個人の懐に入るわけではないから、 発行条件は資本家より良くなる
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高橋是清は公債発行を銀行に依頼することに決めました
銀行と交渉を続けロンドンの銀行から5百万ポンドでOKをもらう
希望の1千万ポンドには届かなかった
ある晩さん会でアメリカ人のシフに出会う
彼がどんな人物かは知らず、是清は今の日本の公債の募集が集まらない現状を語った
すると翌日にシフから残りの5百万ポンドはアメリカで買うと連絡がきた
ジェイコブ・ヘンリー・シフ(英語:Jacob Henry Schiff, 1847年1月10日 – 1920年9月25日)は、ドイツ生まれのアメリカの銀行家、慈善家。ヤコブ・ヘンリー・シフとも。生まれた時の名前(即ちドイツ名)は、ヤーコプ・ヒルシュ・シフ (Jacob Hirsch Schiff)。高橋是清の求めに応じて日露戦争の際には日本の戦時国債を購入した。勲一等旭日大綬章を明治天皇より贈られる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%95
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実はシフはニューヨークのクーン・ローブ商会の首席代表。
クーン・ローブ商会っていったら、当時アメリカのモルガンと並んで大金融グループの1つです。
莫大な資産を動かせる人だったんですね。
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クーン・ローブは最終的にはリーマン・ブラザーズと統合して・・・
こうして1回目の公債募集に目途がたった
さらにタイミング良く公債発行前に日本軍が鴨緑江でロシア軍に勝利
それもあって日本公債はロンドンのパーズ銀行では長蛇の列ができたほど人気となった
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1回目の公債発行条件はそれほど良くなかった面もあるけど、
1000万ポンドが一度に調達できた事は大きくて、
これによって日露戦争を継続することができました!
その後、日露戦争は戦線が拡大し長引いた
当初想定していたより多くの資金が必要になり日本は英米向けに合計4回の公債発行を行う
後半にはドイツの銀行団も加わり公債募集に名乗り出ている
そして、旅順攻囲戦、奉天会戦、日本海海戦で勝利して
日本とロシアの公債利回りの差はほぼなくなった。
ただ、お金や人の部分でも日本はこれ以上の戦争継続は難しかった
そして、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介もあり、ポーツマスで講和を結ぶ
クーン・ローブ商会が支援してきた理由
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日本のこれからの発展を見抜いていたのかもしれないけど、
代表のシフはユダヤ人で、アメリカのユダヤ人会会長をしていて、
ユダヤ人の救済をしていたんですね。
一方、その頃の帝政ロシアでは、ユダヤ人は迫害されていた
移住地域や職業選択、学校への進学を制限されたり、虐殺される事件も起こっていた
こんなロシア政府には何度も待遇改善の要請をしていたが、改善されることはなかった
そんな理由もシフが日本側についた理由の一つだとされている
ロシアはなぜ講和を?
帝政ロシアは開戦前から既に借金大国
そのうちの4分の3は、フランスからの借金
これは鉄道事業などを目的にロシア国債を発行していた経緯がある
だからロシアの財政はパリ証券市場に依存しているような状態
そしてロシアも日露戦争の戦費を公債発行して外国へ募集した
始めはフランスが支援してくれた
これ以上ロシア公債を暴落させないためにも支援した背景がある
戦争が進むにつれ、日本が優勢になり、
ロシア国内でも大規模な民衆のストライキが起こるなどマイナス要素が多くなる
そしてフランスも支援を断るようになる
ドイツ、アメリカにも断られお金の調達ができなくなっていた
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日露戦争の継続は、日本もそうだけどロシアも難しかったっていうのが、お金の面からでも言えます。
ちなみに、ロシアはフランスの銀行団をペテルブルグまで来させて交渉。
ここは日本と違って、髙橋是清は直接現地に行って毎日交渉し続けました。
そんな違いも関係あるのかなと思いました。
日露戦争後
日露戦争でかかった費用は約20億くらい
今のお金換算で約2兆6千億くらいと言われている
国民も日清戦争の時と同じように賠償金は取れるだろうと考えていた
しかし賠償金をとれなかった
それは日露戦争は一方的にロシアが負けた戦争とは言えず
戦後賠償の交渉時もロシアは強気の姿勢であった
日露戦争では厳しい増税、知り合いが戦死した人も多く、
国民の不満は爆発した
日比谷焼き討ち事件のような暴動にもつながる
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日本の成果は、
南樺太の獲得、朝鮮半島の優越権、関東州の租借権など得たものある
そして、国際金融市場でこれまで評価の低かった日本がロシア並みの評価になったってことは、大きな成果だった
日露戦争はこれまでの戦争と比べて規模が大きく
日本人だけでも約8万4千人くらいの人が命を落としている
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この前東武ワールドスクエアで縮小版のコロッセオを見たんだけど、
かつて古代ローマで剣闘士同士とかの殺し合いを観客が見て楽しんでいたことを子供に説明したとき思いました。
世の中全体にもっと大きなくくりのコロッセオがあるんじゃないのか?