絶対国防圏の島サイパンが太平洋戦争でのキーとなります
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サイパン島の戦いまでの経緯
1941年12月の真珠湾攻撃から始まり、破竹の快進撃で南方戦線は拡大
しかしミッドウェーの戦いあたりから少しずつ日本は負け始め
ガダルカナル島、ソロモン諸島での敗北で南方方面は形勢不利の状況となる
多くの軍艦の消失によって、アメリカとの物量差が見え始めてきていた
どの戦いでも日本はボロ負けするってほどではなかったけど、アメリカとの物量の差にどんどん追い込まれてきてました
どういうこと??
簡単に言うなら、軍艦10隻でアメリカ軍艦10隻沈めたけど、日本も同じく10隻消失。
日本は補給する艦がないけど、アメリカはまた10隻出してきた、、、みたいな。
このまま日本は戦線を拡大しても資源量で負けているので、集約する必要があったんです。
そのため大きく戦線を後退する作戦に出ます
絶対国防圏とは 当時の航空機の性能でギリギリ本土爆撃されない限界線 サイパン島がその絶対国防圏の島 戦線を後退させることで、物資や兵員の集約を図りました
戦線後退により万全の体制を整えサイパン守備にあたることになります
日本軍のミス
万全の防御網を敷いた日本ですが、大きなミスをしてしまいます
事前にサイパン島の戦いを有利に進めるための作戦がアメリカ側に漏れてしまう
作戦の内容は、「周りの島々と連携して海でアメリカ軍を食い止める」ことであった
周りの島々を飛行場として利用することで陸の空母として使用する想定であった
⇒作戦漏洩により、先に周りの飛行場から攻撃されてしまう
このため無傷の7万の米兵がサイパン島に上陸することとなります
サイパン島の戦い
アメリカは当初3日間でサイパン島を攻略予定であった
しかし日本軍の抵抗は激しく、制圧するのに1か月かかってしまう
日本軍は周りの島を落とされ、制海権も失っており補給もできない状況でした
しかしそんな中でも夜襲を基本とした銃剣突撃で米兵を苦しめました
銃剣突撃とは・・・名前の通り接近戦による銃剣で相手を刺す攻撃
弾薬も限られている中、夜襲と銃剣の組み合わせは効果を発揮しました
⇒音も立てず、暗闇の中を忍び寄って一気に攻撃することで一定の戦果をあげました
アメリカ軍の強いところは、すぐに対策を講じるとこにあると思います
米艦隊からの照明弾により、夜でも光で照らされたため、夜襲の効果がなくなってしまった
どんどん追い込まれていくね
為すすべのなくなった日本軍は肉弾攻撃に走ります
肉弾攻撃って??
簡単に言うと自爆攻撃。
体に爆弾巻いて戦車とかに突撃するんだよね。
「天皇陛下万歳」で突っ込んでくる
アメリカ軍はこの異様な攻撃を「バンザイアタック」と呼んだ
「天皇陛下」の部分は聴き取れず、「万歳」の部分だけ聴きとれたためこのように呼ばれたらしい。
サイパン戦ではほぼ全ての兵士が戦死(3万1千のうち3万死亡)
民間人も多くいたが、捕虜になるくらいなら死を選ぶ者も多かった
→「バンザイクリフ」で1万人死亡したとされる
サイパン島を攻略されたことで本土はB29の爆撃にさらされることになる
東条英機内閣は責任を取って解散します
日本軍の抵抗が強かった理由
捕虜禁止命令が出ていた
⇒しかし他国でも捕虜禁止命令は割と出ている
なぜなら命欲しさにすぐに捕虜になってしまうと統率がとれないから
まぁ当然だよね・・・
でも日本はほとんどの兵士が戦死し、民間人も捕虜ではなく身投げをしました
それは日本の教育的な側面が強いと言われています
日本の教育 ・捕虜は恥である⇒村八分にされる ・武士道的精神論「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」 「死を覚悟すれば何でもできる」という意味がいつのまにか「死ね」に変わってしまった
死ぬまで攻撃してくる兵って戦う側からしたら本当に嫌なんだよね
全滅させるまで油断もできないし、とにかく精神的にきつかったらしい
アメリカ軍は太平洋戦争でPTSD(心的外傷後ストレス障害)になる人も多かったようです
そこまでして戦えるなんてすごいよね。
今の日本人にその気概はないだろうな・・・