「帝国大学」戦前のエリートの行方

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「学士様ならお嫁にやろうか」──戦前の学士と帝国大学

戦前、「学士」という称号は帝国大学卒業者だけに与えられる特別なものだった。

帝国大学とは?(旧帝国大学)

1886年に公布された帝国大学令によって創立された戦前の最高学府。

戦前の帝国大学(全7校)

  • 東京帝国大学
  • 京都帝国大学
  • 東北帝国大学
  • 九州帝国大学
  • 北海道帝国大学
  • 大阪帝国大学
  • 名古屋帝国大学

戦前の国立大学=帝国大学と専門学校のみ。

帝国大学の誕生の流れ

① 幕府天文方の流れ

  • 天体運行・暦の研究を行う機関
  • 1811年:蛮書和解御用(オランダ書物の翻訳)
  • 1874年:東京開成学校へ発展

② 種痘所の流れ

  • 1858年:天然痘予防のため設立
  • 1861年:西洋医学所となり、教育機関化
  • 1874年:東京医学校へ発展

1877年、東京開成学校+東京医学校=東京大学となる。

初期の帝国大学

  • 教授32名のうち23名が外国人
  • 授業・試験・論文は英語・ドイツ語中心
  • 1881年:日本人教授が外国人を上回る
  • 日本語での論文も可能に

1886年:帝国大学令

東京大学→帝国大学へ。
国家のための最高教育機関として位置づけられる。

東京帝国大学と京都帝国大学

京都帝国大学の誕生(1897)

帝国大学が2校になったため、帝国大学に「東京」がつく

京都では東京帝大卒の教授が中心となり、より自由な研究体制を目指した。

帝国大学の設置構想

日本を複数のブロックに分け、各地に帝国大学を設置。
約10年間隔で次々に創立された。

帝国大学は超エリート校

入学ルート

高等学校(旧制)→帝国大学

官立高等学校は入試倍率7倍の年も。現代の国立大よりはるかに狭き門。

卒業者数(比較)

  • 明治23:1校 約200名
  • 明治33:2校 約400名
  • 昭和15:7校 約5000名
  • 現代:東京大学だけで年間約3000名

戦前の帝国大学生は「選び抜かれたエリート」であった。

学士様の時代

帝国大学卒業者だけが「学士」の称号を得る。

「学士様なら娘をやろう」
「娘やるなら学士様」
という映画まで作られるほどのステータスだった。


帝国大学生の生活

大正14年の娯楽ランキング

  1. 囲碁
  2. 音楽

(現代の大学生:1位ゲーム、2位YouTube)

銀時計

卒業成績優秀者には天皇から銀時計が授与。

卒業名簿は成績順

卒業名簿はテストの成績順。上位は教授になることが多い。

例)

  • 高野岩三郎:6番 → 東大教授
  • 浜口雄幸:3番 → 首相

入学年齢が高い理由

  • 明治の東大入学平均年齢:24〜25歳
  • 進級に厳しく、落第や浪人が多い
  • 卒業は20代後半〜30歳近くになる人が多数

大正期の改革

  • 成績順の卒業名簿廃止
  • 天皇からの銀時計授与も廃止
  • 9月入学 → 4月入学へ

帝国大学生の就職先(1909年)

  • 約半数:官公庁(行政官、司法官、技術官、医官)
  • 次点:学校教員(24%)

国家試験が帝大生だけ免除の時代もあった。

戦争と帝国大学

1938年以降、国家は帝国大学を科学研究の中心として強化。

  • 理工系の定員を2倍へ増員
  • 1938〜45年:研究所を25設置(多くは軍事研究)
  • 理系は卒業まで兵役延期、卒業と同時に兵役
  • 文系は学徒出陣で戦地へ

学徒代表のある言葉:

「生等(せいら)もとより生還を期せず」
(最初から生きて帰るつもりはない)

学徒出陣は約10万人。多くの優秀な若者が戦死した。

帝国大学の終わりと「旧帝大」へ

1947年、帝国大学令廃止。
「帝国」の名は失われ、現在は旧帝大と呼ばれる。

銀時計が刻んだのは、エリートの証である時代だった。

おが太郎
おが太郎
 
 
 
 
 
 
 
今回の参考文献です

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