
ぜひ音声を聴いてください!

全てアフレコですが、訪問当日に録音した音声もあるので!
興奮冷めやらぬ中のおが太郎の語りに注目です。
特攻とは
特別攻撃隊は、狭義の意味として主に第二次世界大戦末期に日本軍が行った自爆攻撃部隊のことを指します。
略して「特攻隊」と呼ばれます。
★ 背景と成立
第二次世界大戦後期(1944年頃)、戦局は日本にとって非常に不利になっていました。
アメリカを中心とする連合国軍が、日本の占領地を次々に奪還し、日本本土への侵攻も目前。
この危機的状況の中、通常の戦法では打開できないと判断し、「命を代償に敵艦を確実に沈める」戦法として、特別攻撃隊を編成。
【 主な攻撃手段】
- 航空機による体当たり(神風特攻)
爆弾を搭載した航空機で、敵の戦艦や空母などに体当たり。
離陸後の帰還は想定されず、「片道切符」の任務。 - 回天(かいてん)
人間が操縦する特攻用の魚雷。
潜水艦から発射され、操縦士は内部で最後まで誘導し敵艦に突入。
- 震洋(しんよう)
小型のモーターボートに爆薬を積み、敵艦に突っ込む水上特攻兵器。 - 桜花(おうか)
母機から投下されるロケット推進の特攻兵器。操縦士は搭乗したまま突入。
万世特攻平和祈念館
万世飛行場は、昭和18年から19年末にかけて吹上浜に建設された陸軍の特攻基地で、終戦間際のわずか4か月間しか使用されなかったため、「幻の特攻基地」とも呼ばれています。ここから17歳の少年飛行兵を含む201名の特攻隊員が、沖縄へ向けて出撃し、命を落としました。
館内には、特攻隊員たちが残した遺書や遺品、遺影、手紙などが展示されており、彼らの思いや背景を知ることができます。また、吹上浜沖から引き揚げられた「零式水上偵察機」や、九九式襲撃機の模型なども展示されています。
建物の外観は、パイロットが初めて飛んだ練習機「赤とんぼ」の複葉型を模しており、大屋根には平和を祈る合掌の形が取り入れられています。

知覧特攻平和会館
鹿児島県南九州市知覧町にある戦争資料館で、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻作戦に参加した陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。この施設は、特攻隊員の遺徳を静かに回顧し、再び同じ悲劇を繰り返さないよう、戦争の悲惨さや命の尊さを後世に伝えることを目的としています。
特攻隊員の遺書や遺品約4,500点、遺影1,036柱が展示されています。これらの多くは、初代館長である板津忠正氏(元第213振武隊員)が収集したものです。
また、陸軍四式戦闘機「疾風」が展示されています。知覧基地には、飛行第103戦隊の疾風30機が駐留し、特攻機の直掩・誘導や邀撃にあたりました。
戦史資料展示室には西南戦争から第二次世界大戦まで、人々がどのように戦争に関わってきたのかを証言映像や資料で紹介しています。