「餓島」とも呼ばれるガダルカナル島。
その悲惨すぎる戦いについてお話しています。
時代背景
1941年12月に真珠湾攻撃、マレー半島上陸により太平洋戦争
当初は日本軍が優勢に戦いを進めていた
1942年ミッドウェー海戦で日本は敗れる
しかし、まだまだ日本の勢いが落ちたわけではない
太平洋における制海権・制空権は日本の方が優位だった
そんな状態で1942年8月にガダルカナル島を巡って争いとなる
地理
日本から約5500キロ離れた西太平洋ソロモン諸島
ガダルカナル島は首都ホニアラのある島
地図で言えばオーストラリアの右上1700kmくらいの距離
なぜガダルカナル島で戦いが行われたか?
ガダルカナル島の地理が重要だったんですね
アメリカはオーストラリアと連携を取りたい
アメリカとオーストラリアを線で結んだときにガダルカナル島はその間に位置する
逆を言えば島を奪われると両国の連携が取りやすくなる
日本にとっては「米豪分断作戦」のための南洋諸島の中でも重要な島
そのため占領していたラバウルに飛行場を建設し南洋諸島の守りを固めた
戦争の経過
飛行場を建設したものの、軍内部での方針が定まっていないこともあり
ガダルカナル島に配置された人員は当初3000名程度だった
飛行場設営体が2600名、守備隊が250名程度
←前線基地としては心もとない人数
←アメリカは翌年くらいに来ると思っていた
1942年8月7日
約1万名の米軍がガダルカナル島に上陸開始
ほぼ就寝中の日本軍は奇襲を受けることになりあっという間に占領
ここで日本軍はアメリカの兵力を誤認してしまう
2000名くらいだと勘違いしたようです。奇襲だったし仕方ないのかもしれませんが。
即座に飛行場奪還のために900人余りの陸軍部隊を送り込む
米軍の規模は不明だが、得意の夜間奇襲突撃を行う
←米軍は集音マイクを設置、日本軍の動きは察知されていた
機関銃による十字砲火で800名弱の死者を出した
アメリカ軍はこの時点で優位には立っていたが決して圧倒的でもなかったんですね。
物資弾薬が不足していたため、日本軍がそれなりの人数・装備で攻めれば飛行場を奪い返せていた可能性は高いです。
しかしアメリカは徐々に輸送船団による補給によって物資兵力は増強されていく
対する日本軍は6000名の部隊を投入
しかし通り一辺倒の白兵突撃で次々と犠牲が増える
また、米軍の圧倒的な兵力差、特に航空戦力と火力を避けるため
飛行場の北側の密林地帯を通り攻撃することにした
しかし道なき密林地帯を磁石だけを頼りに進む
補給もない状態で暑さ、疲労、マラリアなどの病気に苦しめられます
その後も日本は部隊を送り続ける(最終的に3万人送った)
しかし制空権、制海権も米軍に奪われてしまったことで、
輸送船をガダルカナル島へ届けることができなくなった
小型の船でこっそり輸送☞「ネズミ輸送」と呼ばれた
大型の兵器は運べず、食糧も全く足りない状況
上陸した兵士は次々に飢餓で倒れていく
弱った体にマラリアや赤痢などの感染症も襲う
「生きているものと腐ったものと白骨になったものが枕を並べて寝たまま動かない」
戦闘の結果
1943年2月 生き残った日本軍が島から撤退(約1万人)
しかし歩けない兵士は置き去りにされた
日本軍約30000人のうち20000人が亡くなる
うち15000人は戦闘ではなく病気や餓死によるものとされる
撤退した兵士も皆やせ細り、病気の人も多かった
米軍は総兵力6万人のうち死者約7000名
実は航空戦力や軍艦の損失は日米にそこまで大差がなかった
しかし国力差がある日本にとっては米軍よりも戦艦等保有割合の意味では大打撃となる
ガダルカナル島が奪還できなかったことで米豪分断作戦は失敗に終わる
大本営は「撤退ではなく目的達成のための転進」として作戦失敗を隠蔽した
戦いの教訓
・「補給」の重要性を甘く見た
・米軍の規模を甘く見た
・陸軍と海軍の確執で撤退判断が遅れた
←撤退は失敗と同義
大前提としてガダルカナル島の時点では日米に戦力差はなかったんですね。
(まぁ戦線拡大して守る側の日本の方が大変というのはあったと思いますけど)
戦略的な「たられば」とはなってしまいますが、撤退判断を早期に下すことができれば多くの人が亡くなることもなかったし、航空機や船舶も無傷で済んだので、この後の戦いにおいても立て直しはできたと思います。
今の日本も決断は遅いですが人の生き死にが決まる部分においては早期決断をしてほしいものですね。
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