安政の江戸地震(Ansei Edo Earthquake)

出来事
おが太郎
おが太郎

安政の江戸地震って知ってる?

長まろ
長まろ

いや・・・でも「安政」って元号かなんかだよね?

おが太郎
おが太郎

そう、井伊直弼でおなじみの安政の大獄とかの「安政」

今日はこの時代に起きた「安政の江戸地震」についてお話します!

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時代背景

安政の江戸地震が起きたのが1855年。
2年前の1853年が黒船ペリーの来航。
1854年が2度目の黒船来航で「日米和親条約」が結ばれた年。

おが太郎
おが太郎

幕末の混乱期に起きた地震です

元々当時の元号は「嘉永」であった。
しかし1854年に「安政東海地震」「安政南海地震」の2つの地震が起こり、
死者も数千人規模で出たと言われている。
また、黒船も来航したり縁起が悪いことから「安政」という元号に変えたばかりだった。
おが太郎
おが太郎

良いことないから元号変えたのに安政の江戸地震が起こっちゃうんだよね

長まろ
長まろ

意味ないじゃん!(笑)

地震の状況

●地震当日(1855年11月11日)
直下型地震(震度6弱か6強)でマグニチュードは6.9~7.1
震源地は東京湾北部から江東区付近
天気は薄曇りで北北西の微風
微風であったため翌日には鎮火
おが太郎
おが太郎

もし当日が微風ではなく強風だったら火事による被害が広がっていただろうね

被害状況

●被害
幕府による公式調査だと
・死者4000人
・負傷者2700人

実際、武家屋敷などの被害を入れると、
江戸市中の死者数7000人~1万人以上と推定される
建物の被害は全体の約80%
おが太郎
おが太郎

当時深川(今の江東区)はもともと小さな島がちらほらあるような湿地帯だったんだけど、
そこを江戸時代になってから埋め立てて造ってる場所だから、地盤が弱いんだよね。
地震が起こるとこの辺はすごく揺れるし、建物とかも倒壊しやすかったんだよね。

長まろ
長まろ

今でも地震があったときに埋め立て地は液状化で怖いって言うよね

おが太郎
おが太郎

あと、江戸時代って木造建築で電気はなくて明かりは菜種油とかを燃やしてたから、
火事の被害も多かったんだよね。

特に吉原は火災の被害が大きかった。
死者も1000人程度いたとされている。

おが太郎
おが太郎

吉原は遊女が逃げ出さないように周りを堀で固めてたんだけど、そのせいで出入口が大門1か所だけで、みんながそこに殺到したから逃げられなくなっちゃったんだよね。

長まろ
長まろ

それで被害が拡大したんだね。

緊急時は堀の上にそり橋を避難用に備えていたが、
地震のせいで歪んでしまったのか、長いこと使われてなくて錆びついてたのかは不明だが、
実際にその橋は使われることなく、多くの人が焼け死んでしまった。

水戸藩士の藤田東吾も犠牲者

藤田東吾は吉田松陰らに代表される尊王攘夷派の思想的な基盤を築いた人。
自分自身は逃げられたにも関わらず母を捜し歩き倒壊に巻き込まれ亡くなる。
ちなみに母親は無事だった。

おが太郎
おが太郎

すぐに外に飛び出さないで亡くなった人が多いのが特徴だね。
倒壊と焼失で亡くなった人が大半だったみたい。
津波の被害はないらしい。

長まろ
長まろ

いわゆる「直下型」の地震だったんだね。

地震からの復興

どうやって復興した?

災害規模は大きかったが、おおむね1年程度で復興は進んだ。
理由としては火災がそこまで広がらなかったことがあげられる。
江戸時代は火事が最も恐れられていて、
消火活動は家を壊して燃え移らないようにすることくらいしかできなかった。

地震当日の風が弱かったことが被害縮小と復興が早まった理由と言える。
また、人々が助け合ったことも理由と言える。たとえば

  • お金持ちの商人がお金を配ったり炊き出しを行う
  • 幕府が「お救い小屋」「お救い米」で支援(今で言う仮設住宅、炊き出しのようなイメージ)
裕福な商人がいる街の方が復興が早かった側面はある。
おが太郎
おが太郎

当時士農工商の身分制度はあったけど、災害の場合は身分関係なく助け合ったらしいよ!

長まろ
長まろ

今とあまり変わらないんだなって印象だね。
炊き出しやったりとか、仮設住宅建てたりとか。
困ってる人がいたらお金を出し合うとか。

流行したもの

ナマズ絵が流行る

当時もナマズと言えば「地震」のイメージだったらしい。
様々な面白い絵が短期間で大量に出て、人気となった。

  • ナマズが懲らしめられている絵
  • ナマズが大工にお金配ってる絵
    ※倒壊が多かったので再建築のため大工が儲かったと言われている
長まろ
長まろ

ナマズが地震を表していて、地震が迷惑かけたからそういう絵が流行ったのかな?

おが太郎
おが太郎

こういう時ってきっと何かのせいにしたいんだよね。
それがナマズの流行った理由でもあるのかな。

地震後の騒乱

地震翌年に台風が来る

火災の広がりを防ぐために土造りの家が多かった。
このため地震にはめっぽう弱くなる⇒倒壊被害が多いのはこれが原因
倒壊の際に屋根瓦でつぶされた人が多かったので、 復興する際に屋根を軽くした。
そのことが裏目に出て、翌年来た台風で屋根が吹き飛ばされて被害が拡大した。

病気の流行

台風の翌年はインフルエンザが流行し、多くの被害が出る
また、さらにその翌年はコレラも流行する

おが太郎
おが太郎

幕府もこんなに天変地異とかが続いたから出費もすごかったし相当大変だったみたいね。

長まろ
長まろ

まぁそうだよね。黒船来たりで大変だった時に「泣きっ面に蜂」だね。

おが太郎
おが太郎

この後10年くらいで明治維新を迎えるが、少なからず幕府が安政の江戸地震から台風や病気の流行で疲弊していたのも原因ではないか?
というのが私の意見です。

現代における地震について

おが太郎
おが太郎

東京都って東側は地盤がそこまで強くないみたいで、気をつけなきゃいけないみたいね。

長まろ
長まろ

そうだよね。3.11の時もあの辺り液状化とかで結構騒がれてたしね。

おが太郎
おが太郎

震源地が東北でなのに騒がれてしまうくらいだからね。

長まろ
長まろ

そうなんだよね。これが首都直下型とかで起きたらどうなってしまうんだろうね。

安政の江戸地震時の江戸の人口は110万にと言われていたが、
現在東京には1000万人以上の人が住んでいる
長まろ
長まろ

地震って日本人にとって切り離せない災害で昔から当然にあったから、
おが太郎が言ってたように町ぐるみで助け合うような文化があったんだと思うよ。
それはいい伝統だよね。
良い伝統は残して、悪い伝統は廃れていけばいいかなと思います。

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