今回は新選組Part2。
池田屋事件から始めたいと思います。
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池田屋事件
ちなみに長まろは池田屋事件って知ってる?
新選組が絡んでる事件ってのは聞いたことあるけど詳しい経緯とかは知らないな。
当時過激派の尊王攘夷志士が京都に集まって来ていた。
そのうちの20名程が池田屋で会合していて、
京都中に火を放って混乱に乗じて天皇を奪還する計画を練っていた。
過激派の志士の古高俊太郎を捕らえて拷問で自白させたことで判明。
ちなみにその時の拷問は逆さにつるして両足首を釘で刺して、そこに蝋燭を立てて火をつけたんだけど、じわじわ火が来るのに耐えられずにやっと自白したらしい。
新選組は手分けして京都中を隈なく探し、
そのうちの新選組の4名が池田屋を見つけて入っていったら、
ちょうど過激派が20名が会合していてた。
この時池田屋に乗り込んだ新選組隊士が下記の4名
- 近藤勇
- 沖田総司
- 永倉新八
- 藤堂平助
20対4か・・・普通なら勝ち目薄いよね。
しかも藤堂平助はケガして途中で脱落して、 沖田総司も肺結核の影響なのか喀血後に離脱して、 近藤勇と永倉新八だけで戦っていたらしい。
最終的に応援も駆けつけて京都大火は未然に防ぐことに成功する。
この活躍で新選組が名を馳せることとなる。
もしここで新選組が抑えることができなかったら、今京都にあるお寺とかの町並みは無くなってたかもしれないよね。
しかし、この事件をきっかけに新選組は目を付けられることになる。
襲撃した過激派志士の中に長州のリーダー格が含まれおり、
後に長州勢が優勢になったときに新選組は犯罪者ということで恨みを買うことになった。
時代の移り変わりがこの事柄だけでもよくわかるな
剣術流派について
学生時代に武士道について学んだ私から流派についても触れておきたいと思います。
いや、学んでないでしょ(笑)
うちらテニス部よ!
天然理心流
- 近藤勇
- 土方歳三
- 沖田総司
- 井上源三郎
天然理心流は元々「田舎剣法」や「芋道場」と呼ばれ全く有名ではなかったが、
新選組が発足して実戦向きの剣術と知れ渡り有名になった。
実戦的で騙し討ちも辞さない。 剣術・柔術・棒術・気合術を含んでいる統合武術である。 気合をもって相手を奪い、すかさず技をほどこす、実戦向き剣法である。
常に真剣勝負を想定して剣術体系をつくり、いかなる相手に対しても動じない極位必勝の実践を教え、自然にさからわず天に象どり地に法とり、以て剣理を究めることから、天然理心流と命名した。
日本古武道協会HPより抜粋 http://www.nihonkobudokyoukai.org/martialarts/030/
ここで近藤勇の逸話
道場やぶりに行った近藤勇が竹刀を叩かれて落とされてしまうが、
素手のまま殺気だけで相手を参らせた。
天然理心流ってすごいね!
神道無念流
- 芹沢鴨
- 永倉新八
- 伊東甲子太郎(御陵衛士、新選組)
- 新見錦
長州藩士にも使い手がいて桂小五郎、伊藤博文、高杉晋作などがいる。
「力の剣法」と言われる如く、竹刀稽古では「略打(軽く打つこと)」を許さず、 したたかに「真を打つ」渾身の一撃を一本とした点にある。
竹刀を頭上に大きく振り上げて力強い打突を繰り出すことが特徴。
「神道無念流を相手にする場合は胴を狙え」と言われており、
神道無念流は胴技に対して苦手であることが、他流から認識されていたようである
ここで永倉新八の逸話
実戦でも攻撃するところを言いながら斬ったらしい。
例えば「胴」とか「小手」と言って胴だったり手を攻撃するみたいな。
池田屋事件の時もそうやって言いながら攻撃したと本人が残している。
実戦でだよね?ホントかよ!?(笑)
北辰一刀流
- 藤堂平助
- 山南敬助
あと坂本龍馬もこの北辰一刀流で有名。
門弟数が(推計)日本一だった流派であり、 多くの明治政府側の剣士・歩兵を輩出した。
その剣術には一切の神秘性がなく、ひたすら技術のみを追求したので教授方法は極めて合理的で、 他の道場においては10年かかる修行が5年で完成してしまうと言われた。 一刀流系の流派は基本の構えは星眼(正眼)としているが、北辰一刀流では状況によって自由に構えを変えてよいとしていた。
種田流槍術
・原田左之助
原田左之助が自分で名乗った流派。
新選組の組頭で唯一槍を使っていた。
槍は長いから腕力がかなり必要で、原田左之助は相当な腕力だったと言われている。
狭いところだと不利になるため、刀と使い分けていたとのこと。
剣も槍も使えるなんて器用だね。
新選組で誰が一番強いか?
新選組で誰が一番強いかってのは結構話題に出るよね!
伍長・砲術師範を務めた阿部十郎が言うには、
剣の腕なら「一に永倉、二に沖田、三に斎藤の順」とのこと。
●一番隊組長:沖田総司
9歳ごろに天然理心流の内弟子となり、 14、5歳で塾頭を務め、新選組参加後は一番隊組長に就任します。 芹沢鴨の暗殺、大坂西町奉行所与力・内山彦次郎の暗殺、池田谷事件での活躍が有名。
肺結核により慶応4年(1868)に死去 。
一度の踏み込みの間に3回突きを繰り出すという「三段突き」の剣技
●二番隊組長:永倉新八
剣術好きのため18歳で脱藩し、心形刀流剣術道場の師範代などを務めた後、
天然理心流の道場「試衛館」の世話になって 新選組結成に参加。
新選組では二番隊組長、撃剣師範を務めたが、江戸撤退後に近藤勇らとたもとを分かち、
靖兵隊の一員として戦い、 その後松前藩に帰参。
大正4年(1915)に骨膜炎、敗血症を発症して死去。享年77歳。
永倉は実戦に向いた剣術で「龍飛剣」という、 下段の構えから相手の剣をすり上げつつ、相手を肩口から下へ向けて切る技を得意としていた
●三番隊組長:斎藤一
出生に関しては謎が多い。
新選組では三番隊組長、撃剣師範を務める。
武田観柳斎、谷三十郎らの暗殺など、多くの粛清事案に関与したとされている。
戊辰戦争では土方歳三と行動を共にし、会津藩降伏時に投降。
旧会津藩士として警視庁に採用され、最終的には警部まで昇進。
大正4年(1915)に胃潰瘍のため死去。享年72歳。
平均身長が158センチ程度であった当時、170センチ前後あったとされる。
有名な技「牙突*」かな(笑)
昔はみんな「零式」とか傘持ってやってたよね~。
*『るろうに剣心』での斎藤一の必殺技
終わりに
池田屋事件の後は薩長が手を結んだことで、新政府側が戦力的に強大となり、
勝てない戦いであっても駆り出されることになる。
その過程で隊士がどんどん散り散りになっていって終わりを迎える。
池田屋事件の時は長州藩士がコソコソ談合しているところを乗り込んで殺したわけだけど、
たった数年で立場が逆転して、新選組がコソコソ逃げていくことになっちゃう。
それにはイギリスとかが長州に武器援助してたりとかあるんだけどね。
新選組って存在はみんな知ってるけど、
改めて何をした人たちって言われると答えられない人多いと思うんだよね。
今回新選組を取り上げてくれたから、
どんな人たちで何をやったのかがわかって良かったよ!
以上。