
「語らいを 重ねゆきつつ 気がつきぬ
われの心に 開きたる窓」
上皇陛下が24歳の時に上皇后に対して詠んだ歌です。
平成の天皇のあゆみ
1933年12月23日 昭和天皇の第一男子として誕生
天皇家の習わしで幼い時に親子は別々に暮らすため、3歳で東宮御所へ移ることになる
6歳で学習院初等科に入学
10歳の時に戦争が激化したため、沼津御用邸に疎開
空襲が強まったのでさらに田舎にある日光の田母沢御用邸に疎開
そのまま日光で終戦を迎える
11月に東京に戻ることになる
そこで焼野原東京の惨状を知ることになる

幼い時に戦争の影響もあり、転々としており、結構苦労されていたと思います
1946年 学習院中等科に進学
通例であればここでべ他の生徒とは教育が別になるが、
上皇は他の生徒と混ざって授業を受けた
ここで運命的な出会いがある
昭和天皇は当時の皇太子に対して国際性を身に着けてほしいため
英語の家庭教師をつけた
エリザベス・ヴァイニングという女性
中等科の教室で英語も教えていた
学校にいる間は英語の名前を使わせるようにした
ジョン、アダム、ジミーなど
上皇はこれに軽く反発したものの、受け入れることになる
これは教室の中ではみんな同じ生徒であるというメッセージ
また、当時皇太子のスケジュールは全て侍従が管理していた
←自分のやることは自分が決めるべきと教える
1949年 学習院高等科に進学
この年にGHQ最高司令官マッカーサーを訪問
マッカーサーからも人格的に申し分なく将来立派な天皇になる
1952年 学習院大学に入学
19歳の時に天皇の名代としてエリザベス2世戴冠式に参列する
戦後間もないこともあり、敵同士だった国に天皇が訪問することが難しく、皇太子が行くことになった

歳も若く多少の不安もあったが、見事にこれをやり遂げてきました
大学時代に正田美智子現上皇后陛下と運命の出会い
皇太子はスポーツ全般たしなんでいたが、特にテニスが好きであり、
そのテニスの中で美智子上皇后陛下と出会うことになる
しかしお妃候補は旧華族ら選ばれるものであり、
民間から嫁いだ実績は過去にもなかった
正田家も当然一般家庭が皇族に嫁がせるなんて。。。と身分違いを理由に断る
しかし皇太子のその誠実さと強い想いに最終的に結婚することになる
美智子上皇后との間には3人の子供をもうけることとなる
平成の天皇の役割
国事行為については憲法に定められている
例:国会の召集、法律や条約の公布、内閣総理大臣任命
公的行為については憲法の明確な規定がなく
あくまで象徴という地位に基づいて公的立場で行っている
例:外国を訪問、被災地を見舞う、式典への出席、宮中晩さん会主催

平成の天皇としては本人の希望もあり外国訪問(戦地慰霊)と被災地の巡礼が際立っていました
私的行為として宗教的儀式も行う
憲法上政教分離を取っているためあくまで天皇の私的行為の位置づけで行っている
毎年11/23に行われる新嘗祭が有名☞収穫を感謝する神道の儀式
暖房もなく寒い部屋で長時間行われる重い儀式

★1975年沖縄訪問
ひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられる事件が起きた
当時の沖縄は米国の占領から解放された直後であり、
大東亜戦争では沖縄は本土防衛のために捨て石にされたと考える人も多い
そのため天皇が沖縄に来ることに良く思っていない過激派の人が事件を起こした
沖縄の人たちの心は複雑であった
しかし、上皇陛下はその沖縄県民の心に寄り添うことが大事であるとし、
事件のことに特にコメントをしなかった
★戦地慰霊の旅
平成の天皇は平和への想いを強く持っていた
子どもの頃の戦争経験が大きく影響していると考えられる
国内でも海外でも多くの慰霊訪問を行った
かねてより南太平洋の島々への慰霊訪問を願っていて
サイパンやペリリュー、フィリピンなどの南の国の戦地慰霊訪問をした
☞これらは昭和天皇時代ではできなかったこと
放送では話せてないこと
★疎開時のエピソード
奥日光を訪れていた有末中将に対して
「日本はなぜ特攻隊戦法をとるのか」と率直な質問を投げかけた
当時日本軍の取る行動に懐疑的な質問は投げかけられない風潮があった
しかし皇太子という立場だからこそ率直な質問を言えた
★昭和天皇とのエピソード
初等科の卒業祝いに昭和天皇から中古のカメラをプレゼントしてもらった
このカメラは高価なものを買い与えると教育上良くないと昭和天皇の想いから、
中古のカメラ(そのへんにあったもの・・・)が選ばれた逸話がある
この父である昭和店のからのプレゼントがきっかけで上皇陛下もカメラが趣味となった
★上皇は魚類学者としても知られ、ハゼの分類研究をしている
新種のハゼに自身の名前であるアキヒト属と献名なされた
★日本の元首は誰?
実は日本国憲法では厳密に誰が国家元首なのかの規定がない
元首は天皇説、内閣総理大臣説などある
対外的に見たら天皇が国家元首と見なされている
★天皇には姓がない
これは元々天皇は「姓(かばね)」を与える立場だから
上皇陛下は「明仁(あきひと)」という名前だけ。