🌸江戸から東京へ:湿地の漁村が国際都市になるまでの物語
🏯 江戸のはじまり
諸説ある由来のひとつが「入江の戸(いりえのと)」。
入り組んだ海の入り口に位置することから「江戸」と呼ばれるようになったとも。
平安時代後期、源氏の進出により「江戸氏」という一族がこの地に拠点を築き、それが地名として定着したといわれています。
当時の江戸は、小さな漁村が点在する程度の寒村。ところが——
🚢 家康、江戸へ:都市開発のはじまり
1590年、徳川家康が江戸へ
豊臣秀吉の命によって、家康はこの地に移ります。狙いは…
- 関東・東北の勢力を牽制
- 海運の拠点としての活用
🏗 江戸のインフラ整備
家康は江戸の都市整備を進め、以下のような大胆なプロジェクトを開始:
① 湿地の埋め立て
- 「江戸前島」と呼ばれた銀座・京橋周辺は海に突き出た半島。
- 「日比谷入江」まで海水が入り込んでいた。
- 築地は「築いた地」という通り、埋め立てによって誕生。
② 飲み水の確保
井戸水に塩分が混じるため、神田上水・玉川上水を整備。飲料・農業用水として活用。
③ 街道の整備
五街道を整備し、日本橋を交通の起点に。
🧗 江戸の坂と地形:都市の個性
江戸には「坂」が多い!
文京区の「胸突坂(むなつきざか)」の由来
荷車を引いて登ると、持ち手が胸に当たるほどの急勾配!
⚔ 幕末の江戸:薩摩藩の挑発と混乱
- 大政奉還で政権は天皇へ
- 王政復古で新体制発足
- 薩摩藩が「屯集隊」を組織し、江戸市中に暴動・挑発行為
- 戊辰戦争が勃発、幕府は敗北へ
🕊 1868年:江戸無血開城
話し合いで江戸城が新政府に明け渡され、流血を避ける形で引き渡されました。
🏙 東京が首都になるまでの道のり
当初、有力だったのは「大阪遷都」
- 経済の中心:「天下の台所」
- 西日本出身者にとって地理的に有利
📜 前島密の建白書
郵便制度の父・前島密が「東京こそ首都にふさわしい」と提言。その理由:
- 東北諸藩をけん制
- 北海道開拓への地理的優位
- 江戸の空き武家地を都市計画に活用可能
🏯 明治政府と「東京奠都」
- 1868年:江戸を「東京(とうけい)」と改称
- 天皇が「東京城」へ入城
- 1869年:正式に「東京奠都」発表
「遷都」ではなく「奠都」を使ったのは、京都の勢力への配慮。
その後、天皇は京都へ戻らず、東京に滞在。東京が事実上の首都に。
🏛 明治初期の東京:都市再編と高級住宅街
- 武家屋敷 → 官庁・皇族邸宅に転用
- 高台(赤坂・麻布・白金など)→ 高級住宅地として人気
- 町人地だった日本橋・浅草 → 商業の中心として活気
🗼 江戸から東京へ:都市の進化
1890年、浅草に「凌雲閣」建設(高さ52m)。
→ 現在の東京スカイツリーは高さ634m!
その後、西洋式都市計画の導入で鉄道・道路が整備されていく。
📝 まとめ
- 江戸は湿地帯や海が多い寒村だった
- 家康の都市計画で大都市に発展
- 明治政府の奠都で東京が首都に
- 今では約1,400万人が暮らす国際都市へ
💬 あなたが暮らす東京にも、先人たちの知恵と努力が詰まっています。
今度街を歩くとき、江戸の面影を探してみませんか?

おが太郎
今回の参考文献です