ファスナーは壊れなければよし、壊れたらダメ。YKK
事件の背景
第二次世界大戦の中盤に差し掛かり
序盤こそ優勢に戦争を進められていた日本であったが、
その後ミッドウェー海戦に敗れ、ガダルカナル島の攻防からも撤退することになり
太平洋における制空・制海権が揺らいでいた。
☞絶対国防圏を定めた
※絶対国防圏・・・日本が本土を守るために前線を後退させ、国防上絶対に守備すべき範囲を定めたもの
詳しくはサイパン島の回をご視聴ください!
サイパンの陥落により絶対国防圏も窮地に立たされる
1944年2月 連合艦隊司令長官の古賀 峯一はトラック諸島の司令部にいたが
アメリカの空爆が来る可能性が高かったので基地を移すこととなる
実際に古賀司令長官が退いた後に空爆されました。
パラオに移動するもそこで大空襲を受ける(1944年3月)
司令部要員はミンダナオ島のダバオへ退避を検討
事件の経緯
パラオからフィリピンへの撤退のために飛行機を2艇用意
その飛行機はパラオに到着し、エンジン補給や整備していた
その最中に米軍の空襲を受けることとなる
そのため、急いで司令長官らを乗せて飛び立つことになりました。
1番機・・・古賀峰一司令長官、難波大尉
2番機・・・福留繁中将、岡村中尉
難波大尉はダバオへの飛行経験があったが岡村中尉にはなかった
1番機の難波大尉が先導するから2番機は飛行経験がなくても問題ないとされたんですね。
しかし、1番機の発進から5分遅れて2番機が発進したため
岡村中尉は独力でダバオまで操縦しなければならなかった
途中天候が荒れ、予定飛行路を迂回することにした
そのためミンダナオ島から400キロくらい北のセブ島に到着
実際は不時着(着水に失敗)で21名中8名が死亡
13名は生存していたがその後4名が行方不明になる
残りの9名が抗日ゲリラ隊に拘束されてしまう
運悪く不時着したセブ島は反日フィリピンゲリラの巣窟だったんですね。
海軍乙事件の結果
抗日ゲリラに捕まったことで、日本軍の様々な機密が漏れてしまう
☞結果的に米軍に機密文書が行き渡ってしまった
当初は水に投げ捨てたらしいが拾われてしまったとの証言があったとか、
ゲリラたちは重要文書には興味がなさそうだったとか、
紛失してしまったなど証言は様々なんですけど、
最終的に米軍に機密文書が漏れていたのは事実であり、その後の日本軍の行動が不利になったのも事実です。
普通なら拘束されるときにどうにかするのでは・・・とも思ってしまいますが、当時の状況がわからないので何とも言えないですけどね。
はぐれた1号機はそのまま消息不明
古賀峰一司令長官は殉職とされた
☞島田繁太郎海軍大臣が古賀司令長官の行動を敵前逃亡と批判したため
戦死ではなく殉職扱いなんですね。
戦後殉職を取り消そうとしたが復員局に認められませんでした。
最終的には「元帥」の称号を賜ることにはなりました。
福留繁中将ら9名はその後日本軍とゲリラの取引で解放されることとなる
拘束されたことを知らない日本軍が抗日ゲリラを徹底的に攻撃していた
☞日本軍の攻撃から逃れたいゲリラは人質解放の交渉を行うこととなった
福留中将は帰国後も処罰を受けることもなく、むしろ第二航空艦隊司令長官となります。
身内に甘い気がするね。
☆☆☆音声はこちらから👇
★★文字起こしサイトはこちら👇★★